ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

欠陥品①

初めまして。このページを開いていただき、ありがとうございます。
人生の折り返し地点まで走り続けた休憩所として、この場所を選びました。少々長い休憩になると思いますが、これを読んで何かを感じたあるいは一緒に休もうと思ってくれたら幸いです。

これから綴ることは、誰かが作ったシナリオでもなく、これから誰かが綴ろうとしている作品でもありません。全て、私が走ってきた道であり、この道を知る一握りの走者は「険しい道だ」という程です。間違ってもこの道は踏み入れないよう、注意してください。

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まずは「欠陥品」というタイトルについて。私は今、社会人として「不適合者」となった。そこに至るまでの長い年月があるが、それは後々綴るとする。
平成24年。今から5年前に発足された「精神障害保健福祉」というものをご存知だろうか。いわゆる精神疾患者が発行できる福祉手帳である。
良くも悪くもそういうものを抱えながら生きてる仲間がいる。それを示している制度である。
私はついに、それらに属する側であると認定された。

29年かかってようやく、「欠陥品」であると認めてもらえたのだ。

同じ病で苦しむ人からすれば、大変失礼な話である。申し訳ありません。

だが私にとって、初めて自分は自分でいいんだと認められた瞬間だったのだ。ピエロのように顔にペイントし、涙を隠し笑う必要はない。からくり人形のように糸に吊るされ誰かに好き勝手動かされる必要もない。

それすらできない「欠陥品」と認められたのだ。

そこに至るまでのプロセスは残酷で冷酷で、自ら命を投げ出したこともあった。だが、1つの出会いが私の人生を大きく変え始めることになった。

ゲーム実況者「SANNINSHOW」との出会いだ。

「出会い」っと言っても私は単なる視聴者で、イベントに参加したこともなければ、当初はイベントの存在すら知らかったただの視聴者である。それもつい半年前くらいの話である。そんな奴がファンを名乗るなど、他のファンの方々に失礼な話だが。

兎に角、彼らを知るまで、病気との闘いに疲れ、5年勤めた職も失い、ただ家に引きこもり誰とも話さず、テレビの音声だけを流しながら、ただ1日の終わりを待つ。そんな生活が一変したのである。
そして「彼らに一目会いたい!」という1つの思いが私を奮い立たせることとなる。

今まで何かに執着することもなかった私だが、この時だけは違っていた。

小学3年生のとき、私は1度死んでいる。とは言っても死んだのは「心」である。何かを求め何かを望み、何かを手に入れることは無駄なことだと悟ったのだ。

それはある日、

『ちょっと病院に行ってくる』

母が出かけた。借金だらけの父と、幼い子供を残し。

私は思っていた。
「明日には帰ってくるんだろう。それなら今日は殴られなくて済む。よかった。」

当時、父の借金でサラ金に追われていた我が家。そのストレスだろうか。母の暴力は小学1年頃には始まっていた。
「お父さんに早く帰って来てほしい。そうすれば殴られなくて済む。」そんな毎日だった。

父が帰ってくると母の暴力は止まる。私は父に何事もなかったように振る舞う。それが母が決めた「躾」だった。

だから、

『ちょっと病院に行ってくる』

その母の言葉に、少しの期待があったのだ。

「今日は殴られなくて済む」と。


しかし、母が帰ってきたのはそれから7年後のこと。

そのとき、私は死んだのだ。