欠陥品③
兄が小学生になったとき、勉強机を祖母が買っていた。その買い物に同行していた私は、自分の分も買って欲しいと祖母に迫った。兄が持ってるものは全部欲しがった。同等、いやそれ以下に兄を見ていたのだろう。
(お兄ちゃんだけ買うなんて許せない!)
子供ながら兄をライバル視していた。悪く言えば、自分は兄より優れていると思っていたのだろう。
兄と私の勉強机の間に大きな本棚を置き、互いの机を渡るように、父が買ってくれた電子ピアノを置いた。兄と同じ物を欲しがるくせに、兄と肩を並べるような配置は嫌がった私。そう母から聞いた。
母は、兄を溺愛していた。
父は、私を溺愛していた。
私が保育園に通いながらピアノやゴルフ、テニスを始める一方で、
母は兄が小学生になった時点で水泳や剣道、習字を習わせた。
兄は身体も弱く、保育園ではいつも園児に苛められて泣いていた。
そんな兄を母は変えようとしていたのだ。
そんな兄の姿が羨ましかった。
だから私も小学生になって、兄と同じ習い事をした。小学生にしては多忙なスケジュールだ。
だが、母に「兄より私は出来る!」ということを見せたかった。その一心だった。
結果は何もかも、私が兄を追い越していった。
当然だ。兄は身体が弱い。スポーツなんて続くわけがなかった。母は落胆した。
私はそんな兄の落ちこぼれぶりが嬉しかった。
(お母さんに誉めてもらえる!)
誇らしげだった。
兄が階段から突き落とされたことなんて、すっかり忘れていた。
次は私だった。
母は私を見なくなった。
テストで100点とっても「当たり前」の一言。
習字で賞をとっても、「下手くそ」の一言。
それなのに、
テストで100点とれなかったら殴られた。
習字で賞を逃したら殴られた。
兄には「次はがんばれ」って言うのに。
私は殴られた。
小学校の宿題で出される漢字、計算ドリル。
1ページ解き終えて宿題クリア。
すぐに終わらせてピアノの練習をしていると、
剣道の防具セットを引っ張り出して、竹刀で殴られた。
「5ページやれ」そう言われた。
ピアノの練習もしなければいけない。焦る私。
なんとかやり終えると、母が近づいてくる。
(もう怒られない。大丈夫。)
そう自分に言い聞かす。
「………やり直し」
そう言うと、母は消しゴムで全部消した。
それを毎日、繰り返された。
ピアノを弾く手は、竹刀で殴られてうまく動かない。
そんな日が続き、ピアノが弾けない私に父は気づく。
私は黙るしかなかった。
そんな姿を見ていたのだろう。
父に気付かれたくないのか、母は殴る場所を背中に変えた。
更に、とある教育商材(進◯ゼミ)を取り寄せ、勉強の量を母は増やした。
いつの間にか、ゴルフもテニスも水泳も行く暇がなく。習い事は減った。
習い事が減るということは、家に居る時間が長くなるということだ。
剣道は一度は大会に出たものの、家から1時間以上かかる道場だったため辞めた。
勉強の時間が無くなるからだ。
私に残ったのは、ピアノと習字。
ピアノだけが、当時の生きがいだった。
ピアノを弾いてるときだけは、母は何もしなかった。ただ聴いていただけだった。
音楽に関しては父の監修。そう線引きしたのだろう。
当時流行っていたアニメ「地獄先生ぬ~べ~」なんて見れなかった。
何度か勉強しながら見れないかと思い、机に鏡をおいてみたりしてみたが、母にバレてその鏡で殴られた。
嫌がらせのように母はアニメを流す。
だからオープニングテーマ曲に耳を傾け、母が仕事でいないとき、思い出しながらその曲をピアノで弾くのが楽しかった。
(どんな人たちがいるんだろう。妖怪かな?)
そんなことを考えながら弾く。楽しかった。
そして、そんな生活が続いた日に母は出ていった。
その前日。
私は両親の喧嘩を初めて目撃していた。
いろんな紙をテーブルいっぱいに並べ、母は父を怒鳴っていた。父はただ、下を向いていた。
しばらくの沈黙のあと、父はようやく顔をあげた。
そのとき、母を見つめる父の目は、背筋が凍るほど冷たかった。
いつもニコニコしていた父が。
怒りなのか何なのかわからないが、殺意にも思える目をしていた。
私は思わず息を止めた。
それまで私は、
(早くお父さんとゲーム一緒にしたいな~)
…なんて思いながら、子供部屋でハイパーヨーヨーで遊びながら呑気に喧嘩が終わるのを待っていた。
母が怒鳴ることなど日常茶飯事だ。
それも父が相手ならすぐ終わるだろう。
そう思っていた。でも違っていた。
その後、父は1人で出掛けた。
母は泣いていた。
(お母さんが泣いてる…?)
これもまた、初めての光景だった。
母の涙など、見たことなんてなかったのだ。
あまりの衝撃が続き、この日この後、どう過ごしたのか覚えていない。
そして次の日、母は出ていった。
父は何も言わなかった。
私も、何も言えなかった。
小学3年生。肌寒い日だった。
この日を境に、我が家に新しいルールが決まる。
「電話は一切出るな」
「インターホンにも応じるな」
「1コールで電話が切れて、すぐまた電話が鳴ったらそれはお母さん。その電話は出ていい」
「学校行事(授業参観等)には不参加で紙を提出しておくように」
母が出ていってから数日後、
インターホンがなり玄関に行くと、カップラーメンや食パンやらの食料が沢山入った袋の中から、そんな手紙が入っていた。
母を探したが、誰もいなかった。
それを後で父に見せた。
その翌日。父は出ていった。
小学5年の兄と、小学3年の私。
兄妹2人の生活が始まった。