ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

欠陥品⑩/強さとは

 

 

私は当然体育の先生から呼び出された。

「後日発表になる。掲示板を見ておけ」

 

なんのことか分からなかった。

新部長として練習メニューの見直しや

目標について顧問と相談している矢先だ。

 

以前にも触れたが私の中学校には

インフォメーションボードという、

毎日の授業教室や予定が貼り出され

自動で何枚にも渡る資料がループする仕掛けになっているボードがある。

 

それ以外に下駄箱の先に『多目的ホール

と名付けられた掲示板が並ぶスペースがある。

大会の試合結果や書道などの受賞者、

今月の予定などがズラリと並んでいる。

 

その中に毎年秋頃から全校生徒が

注目する掲示板がある。

 

 

『駅伝選抜メンバー』だ。

 

 

私の中学校に陸上部はない。

体育テストでいい成績を残した人が

陸上競技大会に強制参加になる。

私はテニスに集中したかったために、

適当に体育テストはやり過ごしていた。

 

駅伝選抜はその中でも1番過酷とされ、

容赦なく鍛えられることは知っていた。

同級生の中でも毎年参加するメンバーもいたからだ。

その過酷さを聞いてゾッとしていた。

 

そんな私が、遂に駅伝選抜に選ばれてしまったのだ。

 

頭を抱える。

 

新部長としてやらなければならないことが

多すぎた故に、勉強も疎かになっていた。

そんな状況で駅伝の練習など出来るわけがない。

ただでさえ、部員は少ない弱小チームの

テニス部をどうにかしなければいけないのに。

 

私はテニス部顧問に相談する前に、

体育教員に辞退の申し出をした。

 

でもその教員から返ってきた言葉は

「駅伝のトレーニング後に部活に戻ればいい。みんなそうしている。お前に出来ないはずがない。」

 

 

話にならなかった。

昔から「みんながそうしてる」という言葉が

嫌いだった私にとってその言葉は

激励でも応援でもない。ただの言い訳。

 

 

事態を知り私の気持ちを悟った副部長が

私を強引にテニス部顧問のところまで送り出した。

 

顧問に駅伝選抜を辞退した旨を話した。

「部長である私が部活に参加出来ないのは無責任だ」と。私は伝えた。

 

顧問は黙る。

 

するとその状況を見守っていた副部長が口を開いた。

 

「部長がいないときは私が。サポートします。」

 

 

その言葉に戸惑った。

その子は副部長である前に、私とペアを組んでいる。

相方として必要な連携の練習も出来なくなることを知ってて言ってるのだろうか。

 

顧問がようやく口を開く。

 

 

「お前だけのテニス部じゃない。頼れ。」

「テニス部代表として駅伝に出ろ。」

 

 

両親が居なくなった日から

『人に頼る』ことをせずに生きてきた。

周りを巻き込まないため。

何より自分を守るために。

裏切りや誰かが自分から離れていくことが

怖くて仕方なかったのだ。

 

私は副部長に部員を託し、駅伝選抜としての

トレーニングに参加することを決めた。

 

それは噂以上に過酷で、胃液を吐くほど。

毎日毎日、急角度の坂を全力ダッシュで登っては、またダッシュで坂を下る。

それを永遠に繰り返される。

そして休む間も無く往復5㎞の長距離走

決められたタイム内に完走しなければ

やり直される。

 

夕暮れ前に駅伝練習は終わり、

それぞれが部活に戻るためバラけていく。

 

私は自転車に乗り換え町営テニスコート

ダッシュで向かう。

 

足はパンパンだ。

 

それでもラケットを握る。

強くあるために。

 

そんな日々が続き、私の身体と精神が

悲鳴を上げ始めた。

 

 

私は小学5年の陸上競技大会で

中距離走の選手として練習していた時がある。

だが結局、大会に出ることはなかった。

 

中距離走の練習中に左足の靭帯を損傷したからだ。

幸いに断裂までには至らなかったものの

爆弾を抱えたのだ。

 

 

その爆弾が、過酷な駅伝練習のあとに

無茶なテニス練習をしたがために。

 

遂に爆発した。

 

 

駅伝練習を終え、部活に参加した時だった。

 

テニスは左足に体重をかける。

右足で軸を捉え、左足に体重をかけようとした瞬間。

 

左足から全身に電気が流れ、痺れたような

激痛に突如襲われたのだ。

 

ボールは私の横を通り抜け、

ラケットがコートに落下する音が響いた。

 

 

小さな呻き声だけ漏れてしまった。

私は出来るだけ笑顔で

「ごめん!手に力入らなかった!」と

部員に向かって手を合わせ謝った。

 

 

続けて、

「ちょっと休む!」と笑顔でコートを出た。

 

 

町営テニスコートに設けられている更衣室に

私は篭り、声を殺して泣いた。

 

 

これじゃ、まともに歩けもしない。

練習なんて出来る足じゃない。

 

私の居場所はテニスコートなのに。

 

こんな姿、誰にも見せたくなかった。

部長として、私のプライドが許さなかった。

 

 

そんなとき更衣室に入ってきたのは、

副顧問だった。

 

その先生はテニスの経験は0。

保健室のおばちゃん先生だ。

 

 

「足、見せて」そう言われたが拒否をした。

 

私は「大丈夫です!疲れてるだけなんで」

そう言って笑う。

 

すると副顧問は、無理やり私の手を引っ張り

練習中の部員や正顧問に向かって

 

「部長、駅伝の練習の疲れも溜まってるから

今日は無理させないほうがいいわ!」

「ケアしないとだから学校に戻りますね!」

 

 

そして私は副顧問の車に乗せられて

強制的に学校に戻った。

 

 

「ありがとうございます」

私はそれしか言えなかった。

出来るだけ笑顔で言ったはずなのに、

涙が出て仕方がなかった。

 

 

保健室で手当てを受け、

先生は温かいお茶を煎れてくれた。

 

自分の母親よりちょっと年上だろうか。

 

こんな人が母親だったら…と思った。

 

 

先生には、不思議と今までのことを話せた。

先生は、ただただ聞いてくれた。

 

母親のことまでは話せなかったものの、

兄との確執や、これからの部活のこと。

責任、プレッシャー。

 

でもそれに耐えられる足ではないこと。

 

話せる範囲で打ち明けた。

 

 

そんな私に先生は

「あなたの居場所なのね。」

「でも、あなただけの居場所じゃない。」

「あなたが執着すれば周りは離れていく。」

 

「あなたの真面目さや努力、それはみんながみんな、出来るわけじゃない。」

 

「あなたはそれに苦しめられる。」

 

 

先生は気づいていたらしい。

 

 

 

部長になってからの私は、

強くなることにこだわり、努力を惜しまず

『どうせ強くなれない』と手を抜く部員がいれば私は怒鳴っていた。

 

「やる気がないなら帰っていい」と。

 

 

知らぬ間に母親と同じ事をしていたのか…?

 

私は急に怖くなった。

 

自分の中にある強さとは何なのだろう。

 

 

 

答えは出なかった。

 

 

次の日、私は駅伝選抜から脱退した。

 

古傷のことを教員に話したら分かってくれた。

 

 

部活は、副顧問と一緒にベンチに座り、

部員1人1人を見ていた。

 

何が得意で、何が弱点なのか。

その弱点を克服する練習法はあるのか。

 

各々の長所・短所を補い活かせる、

ペア編成になっているのか。

 

そして下級生の性格。

今まで以上に話をした。

 

 

全てをノートにとり、正顧問と相談しながら

「強さ」を模索した。

 

 

数週間後、足の痛みが治まった私は

正顧問と相談した際に提案された、

私1人の強さのための練習に復帰した。

 

 

正顧問の元教え子、

県大会優勝経験者の男子テニスの先輩との練習だ。

 

私の足に爆弾があることを打ち明けたとき、

正顧問は所謂「トップ撃ち」という

男子テニスでは常識ともいえる撃ち方を

会得しようと提案してくれたのだ。

 

女子は比較的、腕の筋力は弱い。

そのため相手から返ってきたボールが

コートにつき、跳ね、またコートにつくスレスレで打ち返すことが多い。

その分、右足で軸を捉え左足を踏み込んでる時間が長い。

 

簡単に言うと『低い打点』になる。

 

 

それに引き換え、男子は筋力がある。

相手から返ってきたボールがコートにつき、

跳ね上がってきたところを撃つ。

 

『低い打点』と比べると、

相手から返ってきたボールの勢いが残ったまま打ち返すことになるため、

そこに自分の力を加えることでより鋭いショットになる。

 

 

これが『トップ撃ち』である。

 

 

左足の負担を考えると腕力、握力、瞬発力、

コントロールで補うしかなかったのだ。

 

 

それを身体に叩き込むため、正顧問は

元教え子を連れてきてくれたのだ。

 

効果は抜群だった。

 

男子と女子の違い。

経験の違い。全てが違っていた。

 

幸いにも、腕力・握力・瞬発力・コントロールは正顧問との個別練習で磨いていたため、

さほど混乱することもなく、

先輩との撃ち合いを純粋に楽しんだ。

 

『打点の変更=タイミングの変更』という点だけに集中した。

 

 

 

仲間を知ることで、チームの強さを考え。

痛みを知ることで、本来の強さを考える。

 

 

どれも1人では出来ないことだ。

 

 

でも人は忘れていく生き物だ。

1人で出来ないことがあって、

誰かとそれを乗り越えたはずなのに。

 

時と共にその温かさを忘れてしまう。

 

少なくとも、私はそうだ。

 

 

 

私は中3になり、最後の大会を迎えた。

あっけない終わりだった。

 

 

母親には散々罵倒された。

何も耳には入らなかった。

 

 

不完全燃焼。

そんな状態だった。

高校の進路なんてどうでもよかった。

 

どこに行っても同じ。

 

またも居場所が無くなった私は、

保健室に入り浸るようになった。

 

 

推薦で高校は決まったから、

たまに部活に顔を出して気を紛らすように

テニスに没頭した。

 

 

そして、中学校卒業間近。

 

母から呼び出された私が耳にしたのは

衝撃な発言だった。

 

 

「お父さんと離婚する」

「お父さんを置いてこの町を出る」

「お母さんの彼氏(後に兄貴と呼ぶようになる)が一緒に住もうって言ってくれてるから」

 

「お父さんにバレないように少しずつ荷物まとめなさい。」

 

 

ようやく一緒に住むのかと思ったら

彼氏の家?

 

 

(お前……今まで何してたんだよ!)

 

 

そんな言葉が出そうになり必死に飲み込んだ。

 

 

母と一緒に住む。

 

そんな日がこんな形でくるなんて。

 

一気に幼少期の映像が流れ込んでくる。

 

まさか…あの頃に戻るのか?でも。

 

 

もう子供じゃない。

 

 

不安や恐怖と葛藤しながら

そう言い聞かせた。

 

強く。強くなればいい。

 

 

 

ーー地獄へのカウントダウンが始まったーー