ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

タイムカプセル


f:id:donald1220mk:20180421112338j:image
 

 

15年前。心の奥に埋めた。

小さくて、でも深いその箱に、

綺麗な物、汚い物、どうでもいい物、未来の自分に託した物、

大切な物、処分しようか悩んでいた物。。

沢山の思いを詰め込んで、蓋をした。

 

いつか掘り起こせると信じて。

 

 

ーーーーータイムカプセルーーーーー

 

 

 

当時よりも沢山の経験や出会いがあって、

いつしか目も向けなくなった。

埋めた場所を覚えていながら、時間が経てば経つほど

掘り出すことが怖くなる。

 

怖くなると、次は忘れようとする。

また別の箱を用意して、それごと仕舞い込む。

 

そうやって心の中に、いくつものタイムカプセルが埋もれていく。

 

 

だが、そうやって隠してきた物ほど

自分の意志ではなく、思いがけないきっかけで

突然その箱が開いてしまう。

 

 

その瞬間、「タイムカプセル」などという名は消え、

パンドラの箱」へと変化する。

 

 

綺麗な物も、大切な物も、未来に託した物も、

その姿を変え、「不幸」になり、災いを呼ぶ。

 

 

それが、私の病だ。

 

 

神話通りであれば、慌てて蓋をする事で「希望」が残る。

 

でも、それは神話に過ぎない。

 

 

「災い」によって慌てて蓋をする力は封じ込められた。

 

 

次々に記憶に流れ込んでくる「不幸」

 

 

私に残された選択肢は、

 

 

「 “タイムカプセル” に再び変えること」。

 

 

私は好奇心でその箱を開けたわけではない。

 

もし神話通りであるならば、根本から異なっている。

 

只の例え話だ。

 

 

 

小さくて、でも底の深いあの箱に入れたものは、

汚くて、辛くて、悲しい物だけではない。

 

 

それを確かめたい。

 

誰かが私の背中を押す。

 

 

1カ月、“入院”という自分を見つめ直す時間を作り、

新たな出会いの中で力を取り戻していく。

 

 

そうやって1つずつ、その中身を確かめてきた。

 

たった1人で。

 

 

1人で確かめるのも、毎回相当な覚悟がいる。

痛みを感じて、次第に目を背けたくなる。

 

 

 

 

そんな時、また見えない何かが私の背中を押す。

 

 

 

15年前。

タイムカプセルを心に仕舞い込んだ時、

“少女”だった自分が生きていた場所に足が進む。

 

 

 

生まれ育った「ふるさと」だ。

 

 

 

1人で1つずつ開けていたカプセルを、

親戚の家で1つ開ける。従兄弟家族と。

その敷居を跨ぐのは同じく15年ぶり。

 

 

当時と何も変わらない、従兄弟家族の温かさ。

「気付いてあげられなかった」と流してくれた涙。

その日は7年前に他界した祖母の誕生日だった。

 

 

私は祖母の命日を知らなかった。

見送りも出来なかった。

祖母の最期を見送るよりも、母と顔を合わすのが恐かったのだ。

 

 

 

ずっと悔やんでいた。

 

祖母を沖縄に連れて行く約束も果たせなかった。

いつも不器用な祖母なりに愛してくれていた。

そんな祖母の最期に私は……

 

 

 

従兄弟家族は赦してくれた。

当時母は「娘は仕事で来れない」と

嘘をついていたと知った。

元々、責められてもいなかったのだ。

 

 

1つ、カプセルが開き浄化していく。

 

 

 

従兄弟家族と共に祖母の墓石の前で、また1つ。

一緒に食事に行って、また1つ、2つ、3つ…

 

 

楽しかった日々。

幸せだった時間。

 

1人では見つからなかった「綺麗な物」が溢れてきた。

 

 

東日本大震災のときに津波の被害に遭った地元の寿司屋。

私の同級生のお父様が職人。

勝手に潰れていると思っていたが、まだ営業していた。

 

 

従兄弟家族と暖簾をくぐると、同級生が顔を出した。

 

 

 

また1つ、カプセルが開く。

 

 

 

成人式ぶりの再会だった。

 

 

 

思わず涙が出る。必死に私は笑う。

 

 

 

その子は何かを見抜いたように、

そっと私が大好きなショートケーキを出してくれた。

 

 

そして帰り際に「今度ゆっくり話そう」

そう言って笑顔で見送ってくれた。

 

 

 

そして平成30年4月17日。

 

彼は約束を守ってくれた。

 

 

1人では開けきれなかったタイムカプセルを

次々に開けていく。

 

同級生の名前を挙げてはお互いの思い出を掘り起こす。

「そんなことあったっけ?」って笑った。

 

突然地元から消えた私がどうしていたか、

どんな気持ちで成人式に参加していたか。

 

 

本当は両親がいない家で過ごしていたこと。

バレないように1人で抱えて、

当時どんな想いで学校に通っていたか。

 

 

母に殴られながら過ぎしていた日々も、

地元の友達との写真はすべて処分されたことも、

地元に帰りたくても帰れなかったことも。

 

 

そこから抜け出して病気と闘っていることも、

数年先のことなど、考える余裕もないことも。

 

 

その同級生は、ただ聞いてくれた。

 

 

そしてまた小・中の思い出を笑い合う。

 

 

9年間、ずっと一緒に小さい町で育った。

私だけの思い出なら地獄のような日々のことしか思い出せない。

でも共に過ごした仲間がいると笑い話ばかり出てくる。

 

 

何十個分のタイムカプセルが開いて、

楽しさと優しさと温かさが溢れ出してくる。

 

 

 

ここに辿り着くまでに沢山に時間と、

勇気と覚悟が必要だった。

 

 

忘れてしまいたかった。

 

 

担当医から言われた言葉。

「自分を赦して、認めてあげなさい。」

「過去を捨てちゃダメだよ。」

 

 

この先生に出逢わなければ、

綺麗な物、温かい物、優しい物、

何より“ 変わらない大切な物 ” を見落として

全部まとめて捨てていただろう。

 

 

タイムカプセルを掘り起こすことなどなかったと思う。

 

 

 

こうしてブログに残すことも、本来なら理解され難いことだ。

『病人は病人らしく』

『迷惑をかけるだけ』

『気分を害すだけだから大人しくしていろ』

 

 

そう言うだろう。

 

 

実際に言われたこともある。

 

 

今も、このブログを書きながら涙が出る。

 

 

それでも、証明したい。

 

 

目に見える病気でないからこそ、

自ら伝えなければ伝わらない。

 

 

病人である前に、1人の人間なのだ。

 

 

 

誰の心の中にもタイムカプセルはある。

 

それに目を向けず生きていくのも、

目を向けて悩み学び生きていくのも、

 

 

1人の人間として許された自由だ。

 

 

 

私はこれからも、まだまだ残っている「不幸」と化した思い出を

消化し、悩み、学び生きていく自由を歩んでいく。

 

その過程で、自分のやりたいことや会いたい人に会って、

また新しい世界を広げていく人生にしていきたい。

 

 

そうしたらパンドラの箱はいつかタイムカプセルとして、

今度はもっと大きく底の深い、大切な箱に戻ると信じている。

 

 

 

心の真ん中に置けるくらいのタイムカプセルに。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

後日、同級生から写真が届いた。

 

わざわざ小・中の集合写真を探して送ってくれたのだ。

 

 

 

“ 病人 ”の私宛ではなく、

当時と変わらない“ 同級生 “の私宛に。

 

 

今度こそキラキラした宝石箱のようなタイムカプセルになる。

 

 

そう信じて、これからも生きていく。