ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

欠陥品⑪/始まり

 

母からの突然の『引っ越し』『離婚』を

告げられた私は兄と相談するようになった。

テニスの最後の大会で、無意識に左足を

庇ってしまったがために初戦敗退。

その心の傷が癒えぬ内に告げられた選択。

 

『父とこの町に残る』か

『母とその彼氏と住む』か。

 

少しずつ家に帰るようになっていた父。

スーパーで値引きされた惣菜を

よく買って帰ってきていた。

昔のようにゲームをすることは少なくなったが、たまに麻雀ゲームは一緒にやった。

 

魂が抜けたような私を、

1番心配していたのは父だった。

 

私が進学を決めた高校は、

自転車で1時間半かかる、隣の湊町。

電車を使うとすれば3回乗り換えなければ

辿り着けない高校だった。

 

選んだ理由をあげるとすれば

『テニスの遠征で行ったことがある』

普通科ではなく、商業科である』

……この2点。

 

テニスの正顧問には、

ソフトテニスを続けるようにも言われた。

 

父と町に残る選択肢。

私の心は揺らいでいた。

 

一旦は居なくなったものの、

父から貰った愛情は確かだ。

 

だが、兄は父を恨んでいた。

「家族を壊したのは父だ」と。

時折帰ってくる父を無視し続けたり、

口を開けば喧嘩していた。

 

兄は母の所へ行くと決めていた様子だった。

 

結局、私は愛情を選ぶことは出来なかった。

母の圧力に負けたのだ。

 

母は何度も私を呼び出し車の中で話をした。

 

「お母さん、病気なの…。」

「慢性リンパ腫って言ってね…」

「借金返すために働いて働いて…休める場所がなくて彼氏の所で…」

 

何が真実で、何が嘘なのか。

いや、全てが嘘に聞こえた。

突然弱さを打ち明けられても、

私の中に残っているのは暴力を振るう、

鬼の顔をした母だ。

合致するはずがなかった。

 

でも、当時の私は信じようとしていた。

 

一生懸命『お父さんが悪い…』

そう言い聞かせていた。

 

 

 

私は楽園のような中学校を卒業。

高校へ入学。

 

もちろん、ソフトテニス部の勧誘も受けた。

 

 

何か新しいことを始めたり、友達をつくる。

そんな気にはなれなかった。

 

そんな私でも心躍る瞬間があった。

 

保育園時代、一緒に悪さをし尽くしたT君。

その子が教室前の廊下を歩いていたのだ。

 

私は思わず廊下に飛び出し、

当時のように名前を叫んだ。

 

相手は気づいてくれた。

 

保育園は学区が違うため、

小・中と疎遠だった。

 

それでも当時のように抱きついて

2人で再会を喜んだ。

周りからしたら変な光景だ。

 

私が通っていた保育園は男の子しかおらず、

途中まで自分も男の子だと思っていたくらいの環境だった。

 

その中の1人である。

 

我に返って急に照れた。

 

T君は野球部に入ると言った。

私は「じゃあ応援団入るね!」と約束をした。

 

高校は商業科(3クラス)以外に、

情報処理科(1クラス)、

普通科(2クラス)がある。

T君は普通科だったため、そこで別れた。

 

 

改めて席に着くと、背後から殺気を感じた。

振り返ると男子だった。

 

(入学早々、女子に睨まれたかと思った…)

 

…と、安心してため息交じりに息を吐いた。

 

するとその子は、

「お前…俺のこと覚えてないのか?」

 

人を殺めてきたのか?というくらいの雰囲気。

低い声、つり目、筋肉ムキムキの彼が言う。

 

「俺はお前を覚えている。」

 

 

はて?どこで会ったのか?

 

暫く睨み合うようにお互いの顔を見る。

 

 

「あっ!!!」

 

 

私は思い出した。

…が、言葉を一度呑み込んだ。

 

 

(保育園一緒だな……この人)

 

 

だが一緒に遊んだ記憶はない。

 

今度は彼がため息をつく。

 

「俺はお前にイジメられてたんだ!」

 

 

ん…?

 

そうだっけ?

 

 

疑問がそのまま口から出た。

 

 

彼は大笑いしていた。

保育園のとき私にイジメられて悔しくて

中学校で柔道部に入って鍛えたと彼は言った。

 

その会話を隣の席で聞いていた別の男子が笑い出す。

 

「だっせぇ」

 

入学早々、私を取り巻く環境が

平和に満ちた瞬間だった。

 

(案外、楽しめるかもな。高校生活)

 

そう思った。

 

 

女子が苦手…というか

女子との付き合い方がわからない私でも

打ち解けられるクラスだった。

名前の順で座った席。

それが幸いした。

 

程なくして席替えはあったが、

私がイジメていた(らしい)S君と、

そのやり取りを笑ったK君は

席替えしても私の後ろの席で安心した。

私の隣の席はK君の同中のM君。

中学からテニスをしていて、高校でも

硬式テニス部に入部したM君とは、

テニスの話ですぐに打ち解けた。

 

イジメていた(らしい)S君は柔道部、

ほぼ無言だが笑うと可愛いK君は陸上部。

 

それぞれが部活に所属していた。

 

それに影響され、ソフトテニス部に

入部しようとも考えた。

 

だが、足の爆弾もある。

 

結局、私は部活には入らずバイト生活を選んだ。

 

 

毎日、朝練しているテニス部を

窓から眺めていた。

 

羨ましかった。

懐かしい光景だった。

 

それでも、学校生活を楽しんだ。

 

居場所があるだけ幸せだ。

 

 

そして、運命の選択を迫られた。

高校1年生の秋。

 

母から呼び出された私と兄。

 

母から告げられたのは

「年明け。迎えに来るから」

 

 

私は何も言えなかった。

 

少しずつ荷物をまとめる。

 

 

長年使い続けた勉強机。

そこには

「おねえちゃん、たすけて」

 

そう書かれていた。

亡くなった姉に向けて書いた幼い文字。

いつ書いたのだろう。

 

 

その字を触りながら泣いた。

 

 母からの暴力に耐えられなかった当時の私が

その拙い文字の中にいるような気がした。

 

助けてあげられなくてごめん。

 

 

概ね小学生のときに書いたであろう自分に

ひたすら謝った。

 

 

私は母に抗うことはできない。

 

父と共に険しい人生を歩むことはできない。

 

母に逆らえば命ある限り、

どんな手段を使っても私を連れ戻すはず。

 

高校生にもなれば母の行動は予想がつく。

 

 

当時、私には彼氏がいた。

同じクラスのM君と同じ硬式テニス部の子。

 

その交際に母は反対。

夏休みの期間、携帯を取り上げられ

彼と連絡を取らせないようにしたり、

わざわざ母が直に彼に電話をし

別れるよう脅したり。

 

 

そんなことをするような母だ。

 

昔から何も変わってなどいない。

 

 

それでも彼は私との交際を続けてくれた。

 

そして母もようやく認め始め、

高1の冬、年末。外泊も許可してくれた。

 

 

彼と初めて一緒に迎えた朝は雪が積もっていた。

 

私はそのまま、

母が待つ隣の市内へ向かう電車に乗った。

 

 

予定を変更し、外泊に出かける前に

予め荷物を母に託していたのだ。

 

 

私は見たこともない場所へ足を踏み入れた。

 

 

今まで小さな海の町で育った私にとって

新しく住む場所は全くの別世界だった。

 

ビルやマンションが立ち並び、

車は物凄いスピードで走っていく。

人が多く駅から見渡す町並みは

テレビで見るような光景だった。

 

とは言え所詮は田舎。

 

それでも行き交う人達が人形のように見えて

冷たく寂しい感じがした。

 

私だけ取り残されたような感覚だ。

 

すでに兄が乗った母の車に乗り、新しい家に向かう。

 

私はずっと外を見ていた。

 

 

海が見えない。

 

 

それだけで、こんなにも心細いのか。

 

すでに泣きそうになっていた。

 

 

新居に着き、大きく深呼吸をした。

 

 

実は、母の彼氏とは面識があった。

 

兄が中学の修学旅行のとき、

「1人では居させられない」と

母が連れていってくれた場所は、

その彼氏の家だった。

 

当時、小学生だった私は

ただの『お母さんの友達、お兄さん』

…としか思っていなかった。

 

その人が彼氏だと打ち明けられたのは

一緒に住むことを提案されたときだ。

 

 

私は覚悟を決めた。

 

 

兄と一緒に新居に上がる。

「失礼します。」

 

我が家なのに不自然な挨拶。

だがここは私たちの家ではない。

母の彼氏の家なのだ。

 

兄と一緒に彼氏の前に正座し、

改めて挨拶をした。

 

「これからお世話になります」

「よろしくお願いします」

 

そう言って頭を下げた。

 

 

これから、この人に養ってもらうのだ。

家を提供してもらい、

この人の稼ぎでご飯を食べる。

この人の稼ぎで学校に通わせてもらうのだ。

 

 

彼氏が口を開く。

 

 

「俺はお前らの父親になるつもりはない」

「当分、籍を入れるつもりもない」

「だから俺のことは“兄貴”と呼べ」

 

私たちは返事をする。

 

「バイトして家に金は入れろ。義務だ。」

「お前ら親子のことに口を出すつもりはない。ただ、母ちゃん泣かすことをしたら…」

 

「殺すからな?」

 

 

呼吸を忘れるほどの殺気を感じた。

 

 

ようやくの思いで返事をした。

 

それが精一杯だった。

 

 

 

兄と私、それぞれに部屋が設けられていた。

 

 

兄は玄関からすぐの部屋。

 

私は玄関から廊下、リビングを抜けた先の

右奥の部屋。

 

母と兄貴は私の隣の部屋。

 

 

すでに決められていた。

 

 

私と兄の確執をまだ懸念していたのだろうか。

 

 

こうして、歪な家族生活が始まった。

 

 

私は最初は緊張していたものの、

『家族』という響きに内心喜んでいた。

 

 

“おはよう”

“行ってきます”

“ただいま”

“いただきます”

“ご馳走さま”

“おやすみなさい”

 

その言葉に全て返事が返ってくるのだ。

 

家に帰れば電気が点いていて、

“おかえり”と言ってくれる。

 

家族が揃ったらご飯を皆で食べる。

 

 

学校での出来事、友達のこと、彼氏のこと。

将来のこと。

 

そんなことを話ながら、笑いながら過ごす。

 

 

昔のように家族で外食したり、

旅行に行ったり。

 

家族の思い出をつくる。

 

 

ありきたりかもしれないけれど、

今まで兄と2人でひっそりと

会話もなく、ただ暮らしていた私にとって

『家族』は、特別だった。

 

 

母が出ていく前の、当たり前の『家族』。

 

 

心がどんどん温かくなっていくのを感じた。

 

 

だが、それは新生活が始まって

ものの数時間で全て打ち砕かれた。

 

 

初めての家族全員での夕食のときだった。

 

 

私たち兄妹は、

久々に母の温かい手料理が食べられることに

夢中になっていた。

 

 

食事を済ませた後、母は言った。

 

 

「もう2度とお前らと一緒にご飯は食べない」

 

 

私たち兄妹は驚いた。

 

何がいけなかったのか分からなかった。

 

母は続けて。今度は声を張り上げた。

 

 

 

「こんな風に育てた覚えはない!」

「いつからそんな意地汚い奴になったんだ!」

「この恥さらしめが!!!」

 

 

気付いたら、

私たち兄妹は母に殴られていた。

 

 

殴られながら、母の言葉に耳を傾ける。

 

「家主より先に箸をつけるじゃねーよ!」

「この…バカ犬共が!!!」

 

 

殴られながら、納得した。

 

 

私たち兄妹は、何も考えてなかった。

ただ喜びのあまり、行動してしまった。

 

 

父と母がいた頃。母に教わっていた。

 

「お父さんより先に食べちゃダメ」

そう言われてきたのだ。

 

 

『家主を敬う』

 

 

これが母の教え。

 

 

完全に忘れていた。

 

 

 

この日は、兄貴が仲裁に入ってくれた。

「久々なんだし、多目に見てやれ」

「俺は気にしてないから」と。

 

 

各々、部屋に戻るよう母に指示され

私たちは解放された。

 

 

まだ蓋も開けてない段ボールだらけの

部屋の隅で、私は泣いた。

 

これから先、どうなってしまうのか。

 

そして後悔した。

 

 

(お父さんと一緒に居たかった)

 

 

その想いはもう届かない。

あの町に戻ることは、母に禁じられたのだ。

 

 

父の携帯番号を念のため

別に控えておいた紙を握りしめて

 

 

海を思いながらこれからの生活が

穏やかであるように願うしかなかった。

 

 

生きていくために。