ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

カミングアウト

今更ですが。
私の生い立ちの話をします。


※不適切な表現を使わざるを得ない内容です。苦手な方は閲覧をお控えください。




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私は、
気づくと兄から性的虐待を受けていました。

それが
性的虐待」だと知ったのは
20歳になってからです。


小学生の頃、
気づくと家には兄しか帰ってこなくて、父も、母も、
帰ってきませんでした。


親戚のおじさんと二世帯住宅だったけど
いつも酔っ払ってて
何言ってるか分からなくて、
突然殴りかかってくるような人で
頼ることは愚か
鉢合わせすることさえ恐怖でした。

そのため、必然と
兄と2人でお風呂に入っていました。

それは兄が中学生になっても、
私が中学生になっても変わりませんでした。


兄が中学生になる手前あたりから
日課が出来ました。

兄から受ける「成長確認」。
それはいつもお風呂のときです。

そして寝る前は
兄の性的処理をしました。

兄が布団に入ったら合図です。

それをしなければ殴られました。

「お母さんに言うからな」

母から虐待を受けていた私は
それが1番の恐怖でした。

『お母さんに怒られる』

『お兄ちゃんの言う通りにすれば怒られない』

そう言い聞かせていました。


兄が高校生になったとき、
ようやく解放されました。


小学生から心を閉ざし
とりあえず笑って過ごす。
世の中も、自分も、
ゴミだと思って
死ねる日を待ち続けていました。


そんなとき、
Masayaと出逢い、
Masayaが気づき、
癒してくれました。


そういうための行為じゃないと。
全てを塗り替えてくれました。

強要も強制もせず
誰かに愛されている幸せを
初めて与えてくれました。


それでも、
過去は消えてはくれません。


今でも、
男性器の処理は強い抵抗があります。
一種のトラウマです。

言わなくても、
私の顔を見て気づく人たちばかりで。

私は甘えていました。


最近気づきました。
“例外もいる”と。


私の顔を見ても気づかず、
勇気をだして拒否をすると
途端に顔に出されました。

そして毎回お願いされました。

理由を話しているのに。
分かってるようで
分かってくれない。

自分の欲求を押し付けてくる。



そんなことがあって、
私はその人に
何も言えなくなりました。

言えば泣く、または拗ねる。
途端に機嫌が悪くなる。

「でも俺は俺だから」と
助言を聞かない。


お別れをしましたが、
自分は悪くない、と。

言わなかった私が悪いと。


『言ったら怒られる』
『言ったら機嫌悪くなる』

私の母に対する感情を
その人に抱いていました。


母を怒らせないように
殴られないように
そうやって、生きてきました。

それは
私が学んだ「防衛方法」です。

その癖は抜けません。


その過去も知っているのに
「言わないお前が悪い」と。


言えなくしたのは誰でしょうか?



どんどん閉ざしていく心を
必死に、
毎日こじ開けています。

その負担は大きいものです。

その最中にも
公の場で
自らを正当化する言葉を放たれて

こじ開けている心は
【バタンッ】と閉まります。



この場を借りて過去を綴るのは
私なりの勇気です。



同じような過去と生きる人と
一緒に生きることを決めた人がいるなら、
どうか届いて欲しいと願いながら。







ー過去の傷は薄くなることはあっても完全には消えないー