ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

いとこ

 

 

令和元年10月21日

 

母方の祖父母、

曾祖母のお墓参りに行った。

 

町はまた変わり

お墓から見える景色も変わり

町のにおいだけは変わらず。

 

萎れた花を片付けて

いつものように雑に墓石に水をかける。

私は花は飾らない。

きっと  いとこ  だろう。

片付けが面倒だのなんだの

文句を垂れる祖母の顔が浮かぶ。

 

いつだって私には甘いが

いとこにはちまちま

文句を言う祖母だった。

そんな祖母にいつも私は困っていたんだ。

 

ーーーーーーーーーー

 

母の弟夫婦の間には2人子供ができた。

私より1つ歳下の女の子と

5つ下の男の子。

 

私たち家族は坂の下。

いとこ家族は坂の上に住んでいた。

曾祖母と祖母が住む母屋、

別棟に  いとこ家族。

L字型に並んだ2つの家の中心に

曾祖母の畑。庭。

そこはいつも笑顔で溢れていた。

 

1つ違いの女の子。

服も自転車も当時流行ったホッピング

全部色違いで祖母が揃えた。

色違いで用意するのは祖母なのに

いつも文句を言っていた。

 

『同じ人間かい??』と。

 

母の弟カズの奥さんは

オブラートに包んで言ってぽっちゃり系。

童顔で細身のカズさんとは違い、

とても綺麗とは言えない感じの人だ。

その血を強く引いた私のいとこ。

祖母は当てつけのように

私に合わせたサイズを買ってくる。

 

そして言う。

 

『同じ柄にしたのになんだいそれは』

『みっともない』

 

俯くその子に

かける言葉が見つからなかった。

 

それでも

大型連休のときはみんなで旅行に行ったし

クリスマスは地元に1件しかない、

カラオケ屋に行き

祖母が買ったケンタッキーを食べるのが

毎年の恒例だった。

年始は母屋の縁側で餅つきをした。

誕生日会は

夏生まれの私の兄といとこの合同で。

私の分は父と合同で。

春に5つ下の男の子が生まれてからは

春夏秋冬、すべてイベント尽くしだった。

 

変わってしまったのは

私が中学2年生になった頃。

1つ歳下のその子が同じ中学に

入学してからだった。

 

私は自分がいるテニス部に誘った。

だが。

その子は断った。

 

『また比べられる』

『もう比べられるのは嫌だ』と。

 

初めて拒絶された。

 

学校でも話さなかった。

いや、

話せなかった。

 

距離をおかれるどころか

どんどん離れていった。

 

いつしかみんなで出かけることも

集まることも

なくなっていた。

 

 

 

そして私は。 

 

私たち家族は。

 

 

その町を捨てた。

 

 

母と祖母は完全に決裂した。

 

 

小さな田舎町。

町の人間が町を出るなど許されない行為。

掟を破った母は

戻ることを許されなかった。

 

 

拒絶されたまま。

 

 

私は今の今まで

いとことは会っていない。

 

 

もう20年くらいか。

 

 

私たちに

埋められない溝を作ったのは

祖母なのか?

 

 

いいや、違う。

 

 

拒絶されても掴めばよかった。

妹、弟が欲しかった私は

いとこ2人を溺愛していたのだから。

 

5つ下の男の子とは

まだ小さいその手を

いつも私が繋いで歩いた。

おぼつかない足で駆け込んでくる、

その小さな身体をいつも抱きしめた。

 

1つ下のその子だって。

その子に弟が生まれるまで

私の手はその子が独占した。

いくら祖母に文句を言われようと

彼女と1つの椅子に座って

ピアノを弾いたり

ホッピングで庭中に穴を開けたり

屋根裏部屋で絵を描いたりした。

 

本当の妹と弟のようだった。

 

 

それなのに。

 

 

私は

大切なものを守ろうとしなかった。

 

 

諦めたのだ。

私には何も守れないと。

捨てなければいけないのだと。

 

 

 

祖母の葬式の時、

私は出席しなかった。

 

 

母に会いたくない一心で

あの町に足を踏み入れることを拒んだ。

 

 

今は。

 

 

酷く後悔している。

 

 

葬式に参列しなかったこと。

 

何より

長女の娘としての役目を

果たさなかったこと。

私の代わりにその子が担ったと

あとで母から聞いたからだ。

 

 

そして、去年。

母の弟カズの奥さんと再会したとき。

 

その子が

私に会いたがっていると聞いた。

 

『謝りたい』と言っていたと聞いた。

 

 

私はその子たちから逃げること、

存在を消すことを選んできた。

その選択肢しか与えなかったのは母だ。

でも。

抗うことだってできた。

でも。

そうしなかったのは私の弱さだ。

 

祖母のせいじゃない。

 

溝を作ったのは

私だ。

 

 

ーーーーーーーーーーーー

 

今も変わらずそこに住むいとこに

私は会いに行った。

家の前に行くとすぐ分かった。

 

“誰もいない”   と。

 

大量に干された洗濯物。

それが在宅のサイン。

 

それがその日は無かった。

 

 

静まり返った庭を見渡す。

 

 

今でも残る母屋。

その縁側に

曾祖母が座っているように思えた。

 

その隣に

ビールを飲みながら

文句を垂れる祖母がいるようにも。

 

 

ここだけ時間が止まっているようだ。

 

 

私も同じだ。

 

 

 

何も知らずに笑う小さな私が

まだここに残されたまま。

 

 

 

 

祖母を想う時、

 

私は

 

離してしまった小さな手を思い出す。

 

眩しい笑顔を思い出す。

 

必死で走ってくる幼い足音を思い出す。

 

 

 

 

あの町に残してきた、

優しい記憶を抱きしめて

 

「また。春にくるよ」と

 

返事のない約束をした。

 

 

 

命日を間違えて1ヶ月早く来てしまった、

ドジな孫を笑う声が聞こえた気がした。