ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

欠陥品⑥/自覚編

 

小学生時代、すべての始まりを綴り終えたところで、少々最近の話に戻ろうと思う。

 

―――寄り道―――

 

自分が『おかしい』と思い始めたのは高校2年の頃だ。

この時には母は私たち兄弟を連れ、

母の彼氏の家に同居させてもらっていた。

自分の異変に気付いたのは、

『母の怒鳴り声がすると呼吸出来なくなる』

…というところから始まった。

当時、よく兄と母は殴り合い、

物を投げつけ合う激しい喧嘩を毎日のように繰り返していた。

その片付けをするのは私。

自分の部屋の隅で喧嘩が終わるのを息を殺して待っていた。

 

でも、一通り兄とのやり合いが終わると

当然のように勢いよく母は私の部屋に入り、

「お前もお前で―!」と関係のない話で

殴られていた。

殴られてる理由も分からず、ひたすら謝る。

泣けば殴られる。言い返せば殴られる。

私には謝ることしかできずにいた。

 

その時、初めて息が出来なくなった。

母の目の前で。

母は元看護師。知識も豊富だ。

だが母は苦しむ私を冷たい目で見ただけ。

「おい。死ぬ気か?緩いんだよ!」

呼吸を確保してくれるどころか殴られた。

 

母は部屋を出ていった。

私は対処法も分からず、のたうち回る。

薄れてく意識の中で、呆れた顔の母が見えた。

ありったけ手を伸ばす。

そんな私に母は紙袋を私に投げつけた。

それだけだった。

涙と唾液でグシャグシャになりながら

袋に口をあて、泣いた。

 

意識が戻ったときには、母の彼氏は帰宅し

母は普通に彼氏と仲良さそうに話していた。

汚れた紙袋を壁に投げつけた。

 

それが始まりだった。

 

それが『過呼吸』だと認識していなかった。

ただ、分かっているのは誰も助けてくれない。それだけだった。

 

私は過呼吸の症状を隠すようになった。

その予兆を母は見逃さす、

「それで逃げられると思ってんのか?」と

殴られて、罵られるだけだからだ。

 

その頃から過呼吸の予兆が出ると手首を切るようになった。

痛み、血。それを感じるとなぜか安心した。

意識が無くなることもなく、

母にバレることなく対処できる。

高校生の私が出来る精一杯の対処法だった。

 

でも、それもバレた。

母は私の左手を見て、舌打ちをした。

一旦私から離れた母。

『手当てしてくれるのかな』そう思った。

 

違う。母はそんな人ではない。

持ってきたのは優しさが詰まった救急箱…

ではなく、包丁だった。

 

「だから、お前は緩いんだよ!」

母は私の手首に包丁を突きつけた。

そして、笑いながら言った。

「違うな。お前分かってねーんだよ。ここだ。ここをやるんだよ。」

 

頸動脈に包丁を突きつけ直した。

「ここなら一発。お前殺して私も死ねばチャンチャン。」

「最悪、私だけ生き延びて捕まっても精神異常とか言われて刑も軽いだろ。な?」

 

私は何も言えなかった。

一層殺して欲しい。楽になりたい。

でも…まだやりたいことがあるんだよ。

 

言いたいことが多過ぎて何も言えなかった。

 

母は呆れた顔で包丁を壁に投げた。

「悲劇のヒロイン気取りか?甘いなお前」

「いつからそんな腐った人間になったんだ」

「悪いけど、親のせいにすんなよ」

 

散々罵倒された。そして。最後に。

「産まなきゃよかったよ」

「死ぬときは私のいないところで死ねよな」

 

あぁ。そういうことか。

最初から望まれて愛されて産まれてきたわけじゃなかったのか。

そうじゃなきゃ、棄てないよな。

 

途方に暮れた。

 

そして高校3年。

先生の意向で公務員試験を受けさせられた。

私は進学したかった。

東京にある専門学校で学びたいことがあった。

先生には「推薦する!」と言われていた。

成績は3年間トップを守っていたからだ。

だが母が認めるわけもなく、何度も先生に

説得されたが涙ながらに諦めた。

 

公務員試験は不採用。

高卒は誰1人合格しなかった。無駄な時間だった。

残された就職活動。合同面接会で3社合格。

 

1社に決めたのは進路指導の先生だった。

 

私の意見や思いは、ことごとく潰された。

 

当時バイト2つの掛け持ちをしていたが、

自由登校になると運転免許取得のため

バイトの合間を縫って教習所へ。

体重は30キロまで落ちた。(身長152㎝)

 

その後、無事に就職した私。

1人の恩師と出会う。私の上司だ。

歓迎会があると知らされ私は会費を聞いた。

あとで聞いた話だが、上司はその時に

私の異変に気付いたと言っていた。

 

母の彼氏と同居する日。

私たち兄弟は彼氏に土下座をさせられた。

そして一緒に住む条件を提示されていた。

 

「自分で稼いで、家に金を入れろ」

「俺の女を泣かすことはするな。したら殺す」

 

私たち兄弟は頭を下げ、従ったのだ。

 

その日からバイト代は全て母へ。

私名義の口座はあっても、カードも手帳も

母が持っていた。

 

それは社会人になってからもそうだった。

1日100円だけ渡された。

だから会社の飲み会でお金が必要なら、

母に頭を下げてお金をもらわないといけなかったのだ。

 

飲み会参加不参加を記入する用の紙をコピーして、母に証拠として渡す。

毎回「生意気」だ「しょーもない会社」だの

小言を言われながらも、そうしていた。

 

飲み会や食事に誘われたとき、私は顔が青くなるようで、上司は見逃さなかった。

 

そんなとき勤務中に過呼吸が起きてしまい

倒れたことがある。

副店長に抱えられたとき意識を失い、

事務所で目を覚ました。

 

そのとき隣にいた上司に言われた。

「…家、出なさい。」

衝撃だった。

でも私には出ていく勇気がなかった。

「出ていく時は、着てるもの全部脱いで、携帯も車も全部置いて、裸で出ていけ」

そう母に言われていたからだ。

 

それをポツリ、ポツリ、上司に話した。

その上司は泣いてくれた。

「そんな思いまでして…」と。

 

このとき1つの疑問がうまれた。

 

『母親はおかしいのではないか』

 

いつも自分が悪いから殴られると思ってた。

顔が気に入らないとか態度がどうとか

言われ続けていた。

何なら「私の彼氏に色目使うな!」と

殴られたこともある。その気はないのに。

 

私さえ謝ってれば母は落ち着く。

兄のように喧嘩などしたくない。

 

 

でもそれは違うのではないか…?

 

 

恩師との出会い、恩師の言葉で

私の考え、あるいは生き方が一変する。

 

「とりあえず病院に行きなさい」

恩師に言われた。

一緒に行こうとも言ってくれた。

 

でもそのとき私は断ってしまった。

 

「母に相談しないと…怒られる」

 

恩師は悟ったように了承してくれた。

 

 

まだ信じていたのだ。

『母は私を見棄ててなどいない。』

『母のしていることは間違っていると気付いてくれるかもしれない』

 

望みをもって、19歳の私は初めて心療内科の門を叩いた。母と2人。

 

未来を信じて。