ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

月詠みー平成最後の夏ー

 

毎月、月末に更新しておりました、月詠み。

今回はたくさんの出来事があり、

その準備や体調不良、心の不良があったため

更新できず。

なのでまとめて綴ろうと思う。

 

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「平成最後の夏」

 

世間はそんな声に溢れていた。

昭和63年。

昭和64年は数ヶ月でその役目を終え平成となった。

 

私はそんな昭和の端っこに生まれた。

そんな私だから、「平成〇〇年死去」

という最期がくると思っていた。

まさか元号を3つ跨ぐ人生になるとは…。

 

そんな夏の始まり。

私は8/3の暁天の公演に向け

7月から準備を始めていた。

 

メンバー全員のイラストを描く。

 

そんなとき、

わくわくフェスティバルの抽選結果が出た。

 

『三人称のトークイベントに行けないならせめて…』

『でもこのフェスも行けないだろうな』

期待は元からしていなかった。

 

そんな私の心を見透かしたように

抽選は外れた。

 

『私に三人称を生で見る資格はまだないよね』

 

わかってはいたが、病気である自分に腹が立った。

 

だが、フォロワーさんからすぐに連絡が来た。

 

「一緒に行こう」

 

分かっているのか?

ただでさえ「迷惑だ」と言われている私だぞ?

 

だがその人は「ぽンのことは私が守る」と言った。

 

私はこんなに幸せでいいのだろうか。

そう思った。

 

私はありがたくその話を頂戴することにした。

 

 

さあ、忙しくなるぞ!!

 

 

三人称コミュニティの方々が集まるフェスだ!

ご挨拶せねば!!

 

 

私は無事に倒れることなく、暁天公演を終えた後

すぐさまフェスの準備に取り掛かった。

 

楽しかった。

イラストの構図もドンドン湧いてくる。

 

初対面の方がほとんどだ。

手書きで名刺なるものも書いた。

 

その最中、賽助先生のサイン本お渡し会があると知った。

 

私はすぐに諦めた。

 

場所は越谷レイクタウン

 

 

私が心療内科に入院し、退院してすぐに

初めて参加したイベント。

 

 

…己の未熟さを痛感した場所だからだ。

 

あのイベントでどれだけの人に迷惑をかけただろう。

誰も知っている人が居なくて、孤独で、

みんなの声が全て自分に向けられているような感覚。

 

みんなの視線が全て自分に向けられて

『お前なんかがくるな』と言われているような錯覚。

 

退院したばかりの私は

私を縛り、殴り、否定し続けた母親の顔で

頭がいっぱいになった。

 

「お前なんか死ねばいい」

「産まなければ良かった」

 

 

「なぜお前は生きている?」

 

そう言われ続けた25年間が走馬灯のように流れ込んだ。

 

結果私は倒れた。

 

そのことがあって、私は一部のファンから

『心配』という名の刃でズタズタにされた。

 

 

その場所へ私が行けるわけがない。

トラウマでしかなかった。

 

 

でも、

暁天公演で知り合った、

初めての同郷のフォロワーさんが

声を掛けてくれた。

 

事情を説明し断った。

 

その方にまで迷惑をかけ兼ねない。

 

だが、その人は諦めなかった。

 

事情を知った上で、「一緒にいこう」と。

 

 

私は確かめることにした。

 

倒れてしまった半年前。

 

それから一つずつ、自分に出来ることを確かめてきた。

 

 

・暁天の公開稽古

・台湾フェスティバル

・暁天  立行会での単独公演

     (ワークショップ  和太鼓体験)

 

半年間で参加してきたイベントだ。

倒れたことは一度もない。

 

 

証明したい。

半年前の自分ではないことを。

自分の糧になっていることを。

 

 

そうして賽助先生のサイン本お渡し会に参加した。

 

予想外の賽助先生との写真撮影。

 

倒れるどころか

嬉しくて、楽しくて、幸せで仕方なかった。

 

『頑張ったっていうご褒美なのかもしれない』

…なんて思うくらいだった。

 

一緒に行こうと連れ出してくれた方に感謝しかない。

 

 

睡眠不足とカフェイン過剰摂取により

翌日は地獄を見た…というのが唯一の反省点である。

 

 

私の病に、一緒になって向き合ってくれるフォロワーさん

いや、

友達は勿論カフェイン過剰摂取等について

理由を説明してくれた上で怒ってくれた。

 

同時に

「よく頑張った」と誉めてくれた。

 

半年前の自分にドヤ顔である。

 

 

あとはわくフェス!

 

そんなとき、三人称リスナーの品格が問われる事件。

 

 

私は一気に不安になった。

 

 

『三人称のお三方は大丈夫なのだろうか』と。

 

 

「周りに迷惑をかけたくない」

そのお三方の気持ちが伝わって心が痛い。

 

 

私が何か出来るわけがない。

でも、お三方に迷惑をかけないことは出来る。

それしかない。

 

私はその事件がキッカケで心構えが変わった。

 

 

それまでは

『三人揃った三人称が観見れる!見たい!』

という気持ちだった。

 

だがその気持ちとは別に、

『お三方が楽しめるように応援しに行こう』

『お三方が楽しかった!って思える日にしよう』

 

…そう思うようになった。

 

だから、今までのイベントで学んだことをフル活用して

準備に備えた。

 

本当は8/31の暁天盆踊りにも行きたかったが、

体調を優先して断腸の思いで行かなかった。

 

 

カフェインは最小限に。

水が苦手な私は桃の天然水を選択。

ギリギリ届いた三人称タオルで汗を拭いて。

 

 

当日は、想像以上の人が集まり

入場前から人酔いした。

その度に友達や、久々に会うフォロワーさん、

初めましてだけどキャスで話してるフォロワーさん。

 

みんなの笑顔やお声掛けにパワーをもらった。

 

三人称+トシゾーさんvsわくわくバンドの対戦で

初めて三人揃った三人称を見たときは

『ここまで来れたんだ』と号泣した。

 

絶望の中で見つけたお三方の存在。

入院中、脳内で動画を再生しては

『いつか三人称トークライブに行く』

『そのために治療頑張る!逃げない!』

 

そう決めた自分を思い出しては泣いた。

 

約1年。

積み重ねてきたものがここにある。

 

涙が止まらなかった。

 

 

人混みを避けながら、

座れるときは座って休みながら。

友達に声を掛けてもらいながら、

もう棒のようになって動かない足を必死に動かして

最後まで応援するために耐えた。

 

 

そして最後のステージ。

 

三人称+トシゾーさんによるギャングビースト。

 

 

ステージは想像を遥かに超える狭さだった。

他の実況者さんのゲームを見ながら

そのステージで場所取りを兼ねて待機しようとしたが

耐えきれず外に出た。

 

いかんせん、呼吸が出来ないのだ。

 

小さなライブハウス…

そこに何十人とギュウギュウ詰め。

水分を摂ろうにも身動き一つ取れないのだ。

 

酸素は薄く、空調なんて意味もなさない。

サウナ状態だ。

 

でも、そのステージが三人称最後の出番。

 

 

満を持してそのステージに戻る。

 

 

しかし。

 

 

人は増えるばかり。

 

 

三人称ファン全員が集まるのだ。

無理もない。

 

 

最初は声を上げて声援を送っていたが、

声を出した分の酸素が戻ってこない。

 

どんどん意識が遠のく。

歓声が遠のき、視界が歪む。

 

隣にいてくれた友達が

「もう少し!もう少しだよ!」と支えてくれた。

 

その声を最後に何も聞こえなくなった。

 

 

気がついたら救護室にいた。

 

友達がいた。

 

状況を聞く限り、

ゲームが終わり三人称+トシゾーさんがステージから去り

ファン、そして私もそのステージから出る時に

人の波に呑まれ私は倒れたようだった。

 

 

私は安心した。

 

 

ゲーム中に倒れた訳じゃなかった。

お三方が知らないところで果てた。

 

お三方が気に病むことはない。

 

 

そう思った。

 

『お三方に迷惑はかけない』

この想いはやり遂げたんだと。

 

私は嬉しかったと同時に

支えてくれた友達に感謝しかなかった。

 

 

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こうしてイベント三昧の平成最後の夏が終わった。

 

ここには書ききれない、

不安や苦しみと今は闘っている。

 

平成最後の秋が始まっているのだ。

 

そのことについては

また別の時に綴ろうと思う。

 

 

新しい出会い。

新しい試み。

 

そして友との絆を深めた平成最後の夏。

 

たくさんの方に感謝し、

これからも挑戦する事を諦めない自分でいたい。

 

学ぶ自分でありたい。

 

 

たくさんの笑顔をありがとう

 

 

 

ーーーーーーー月詠みーーーーーーー