ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

 

 

【将来の夢】

 

私はしばらく、

「歌手になりたい」

そう思っていた。

 

父が元々若い頃、

アコギ1本持って歌手を目指し

上京していたと聞いていた。

 

家には弦が切れたギターが

そっとしまってあった。

 

父は歌が上手かった。

何を唄っても自分の曲のように唄う。

幼い頃の記憶でしかないが、

それは心が休むような

包まれるような優しい歌声だった。

 

 

父を真似て唄う私にいつも父は

「お前は歌が上手だなぁ」と褒めてくれた。

 

「お父さん!この曲いいよ!」と

唄う私をいつも穏やかな顔で見ていた。

 

子どもながら『お父さんが喜ぶなら』と

安直に歌手を目指した。

 

 

それはピアノにも反映された。

 

 

私が通っていたピアノ教室の先生は、

私にだけ、特別な教え方をした。

大概の生徒は楽譜を渡され

その上で先生がレコードで曲を流す。

聴きながら楽譜を目で追う。

 

だが、私の場合。

 

基本レッスンのあと、

ピアノの前に座ると

突然先生がレコードをかける。

 

その曲を目を瞑りひたすら聴く。

 

「どんな風に感じましたか?」

先生は必ず私に問いかける。

 

私は「こんな感じかな…」と、

鍵盤に手を置く。

 

唄うように。

その曲を再現する。

 

ときに切なく。

ときに踊るように。

 

先生はその姿を見てから

ようやく楽譜を渡す。

 

答え合わせ…といったところだろうか。

 

 

歌詞のないクラシック。

 

 

何を想い

何を感じ

何を見ているのか。

 

それを

おたまじゃくしだけで読み取るのは難しい。

 

要するに

私は楽譜が嫌いだったのだ。

 

感じたままに

聴いた通りに

自分なりに

表現するのが好きだった。

 

 

ただ、それでも【歌手】という道は

漠然としたものでしかなかった。

 

 

本気で【歌手】というものに憧れたのは

両親が突然姿を消し、

兄しか帰ってこない一軒家の中で

1人蹲ってた頃だ。

 

そのときにはピアノに対する情熱も

消えかけていた。

 

生きる意味を

産まれてきた意味を

完全に見失っていた。

 

 

そんな時に、たまたま聴いた曲。

浜崎あゆみさんの【A Song for xx】。

 

〈どうして泣いているの?〉

〈どうして迷ってるの?〉

〈どうして立ち止まるの?〉

〈ねぇ教えて〉

 

歌い出しの歌詞だ。

 

私は泣いていた。

今まで帰ってこない両親に対して

疑問に思ったことも、

泣いたこともなかった。

それでいいとすら思っていた。

 

この曲を聴いたとき、

ようやく素直な感情が溢れ出た。

 

 

寂しい。

苦しい。

辛い。

助けて。

 

 

届かない想いが

押し殺していた想いが

この曲には込められていた。

 

 

『私のことを歌ってる…』

そう思った。

 

 

歌にすれば素直な気持ちを形に出来る。

歌になれば誰かの心を救う。

歌を唄えば誰かに寄り添える。

 

 

小学生の私は歌手を本気で目指した。

 

 

ピアノのレッスンのあと、

発声練習をお願いしたりもした。

 

 

それでも崩れていく私の小さな世界。

 

 

中学生になっても1人唄い続けた。

 

 

そして、高校生。

 

私が選んだ商業科には

音楽の授業はなかった。

 

ただ、選択授業で音楽があった。

週一回程度。

 

音楽の先生は最初の授業で

「皆さんの歌をCDにします」と公言した。

 

正直、音楽を選択した生徒たちは

『他に選択肢がなかった』という理由で

音楽を選択していたのが大半だった。

もちろん、ブーイングだ。

 

当時私は1人でいることが多かった。

だから自ずとソロ録音になった。

 

自分で曲を選び、先生に提出。

先生がピアノを弾く。

 

【音楽の先生もいいな…】と

将来の夢として考えた瞬間だった。

 

いざ、私が唄うと

先生は演奏を止めた。

 

『あれ?下手だったかな?』

 

私は選曲を間違えたと思った。

 

しかし先生から出た言葉は違った。

 

 

「この曲以外にも唄えますか?」

「僕が選曲してもいいですか?」

「部活は?お昼休みは空いてますか?」

 

質問をされすぎて返答に困った。

 

私が選んだ曲は

BOAさんの【メリクリ】。

 

 

それ以外?

唄えるけど…

 

部活は剣道部のマネージャーだけど

ほぼバイトで参加してないし

昼休みは音楽室で唄ってますけど?

 

 

私は冷たく、淡々と返答した。

 

 

それを聞いた先生は目を輝かせて

ボイストレーニングをします!」

「昼休みは音楽室にいてください!」

「これと…これと…あぁこれもいい…!」

 

先生は早口で畳み掛けるように言う。

楽譜を漁りながら勝手に曲を決め始める。

 

『何言ってんの?この先生…』

 

私は冷めた目で先生を見ていた。

 

そして突然先生は私に視線を戻し

「あなただけのCDを作らせてください!」

そう言った。

 

 

はぁ…???

 

 

「授業とは別に、あなただけが唄う歌を収録したいんです!」

 

 

え…????

 

私は嬉しかった。

少なくとも先生の心に私の歌声は響いた。

 

【歌手になりたい】

 

その夢に届きそうな気がした。

 

 

だが、そんな小さな幸せも、夢も。

全て摘まれていく私の隔離された世界。

 

 

無事に収録もした。

他の生徒からも称賛の声も上がった。

先輩の目に留まり、

バンドボーカルに引っ張られた。

 

 

先生から渡された私のCD。

私の想いが詰まった宝物。

 

 

母に割られた。

 

 

たった一言。

「バカな父親と同じこと考えるな」と。

 

 

あぁ。

私の世界はそういうところだ。

夢も、想いも、希望もない。

ただ母の思うままに動く操り人形。

糸で吊るされた自由に歩けない世界。

 

いつしか【歌手】という道を

自ら断つようになった。

 

ましてや、今現在、

吊るされていた糸を切り、

母から追われる身。

 

そんな私が

顔を曝け出す歌手にはなれない。

 

そう諦めた。

 

 

でも今の世界は

違う形で唄い続ける方法があると知った。

 

メディアに出るだけが歌手ではない世の中。

 

 

私は唄い続ける。

歌手にはなれなくても、

誰かの心に届けられるなら。

誰かの心に寄り添えるなら。

 

唄い続ける。

 

 

海に向かって唄っていた、

13歳の私のように。

 

水平線を超え

地平線をも超えて

 

唄を届け続ける。

 

 

私を救ってくれた、

浜崎あゆみさんの【A Song for xx】

この歌詞を載せておく。

 

いつか私の声で

届けられますように…。

 

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どうして泣いているの?

どうして迷ってるの?

どうして立ち止まるの?

ねぇ教えて

 

いつから大人になる?

いつまで子どもでいいの?

どこから走ってきて

ねぇどこまで走るの

 

居場所がなかった

見つからなかった

未来には期待できるのか分からずに

 

いつも強い子だねって言われ続けてた

泣かないでえらいねって

褒められたりしていたよ

そんな言葉ひとつも望んでなかった

だから分からないフリをしていた

 

 

どうして笑ってるの?

どうしてそばにいるの?

どうして離れてくの?

ねぇ教えて

 

いつから強くなった?

いつから弱さ感じた?

いつまで待っていれば

解り合える日が来る?

 

もう陽が昇るね

そろそろ行かなきゃ

いつまでも同じところにはいられない

 

 

人を信じることっていつか裏切られ

はねつけられる事と同じと思っていたよ

あの頃そんな力どこにもなかった

きっといろんなこと知りすぎてた…

 

いつも強い子だねって言われ続けてた

泣かないでえらいねって

褒められたりしていたよ

そんなふうに周りが言えば言うほどに

笑うことさえ苦痛になってた

 

 

ひとりきりで生まれて

ひとりきりで生きていく

きっとそんな毎日が当たり前と思ってた

 

LaLaLa…

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