ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

キズナソング

 

『誰もがみんな幸せなら』

『歌なんてうまれないさ』

 

高校生の頃、

coverしていたTHE BACK HORN

 

聞き直してみると心に刺さるものばかり。

 

最近はずっと、

THE BACK HORNに浸っている。

 

 

高校生の頃の自分に戻っている。

 

 

遠くで響く救急車の音。

 

 

隣の家のおじさんが叫ぶ怒鳴り声。

 

 

全てが私を闇への誘う。

 

 

 

救急車の音が嫌いなのは。

 

たった1度だけ、

母が家で倒れたことがあった。

そのときからだ。

 

 

それはまだスーパーのレジ社員として

奮闘していたとき。久しぶりの休み。

 

 

そんなとき、

キッチンから

微かな、床を叩くような…

物を叩いているような…

 

そんな微かな音を聞いた私は

キッチンへ。

 

 

そこにいたのは

 

 

吐血した母が倒れている姿だった。

 

 

 

私はパニックになった。

 

 

 

動いている…ということは生きている。

 

 

救急車を呼ぼうとする

 

 

が。

 

 

母の言葉を思い出す。

 

 

「私に何があっても救急車だけは呼ぶな」

 

 

そうだ。

 

救急車は呼んではいけない。

 

 

母が診てもらっている病院ではなく、

近隣の病院へ行かれてしまう。

 

 

ダメだ。

 

 

私は母に声をかけ続けた。

 

 

同じく休みで部屋にいた母の彼氏。

普段、その部屋の敷居を跨ぐことはない。

だが、緊急事態だ。

 

 

私は扉を叩き、

「アニキ!!アニキ!!お母さんが!!」

ひたすら叫ぶ。

 

だが、起きない。

 

扉を開け、布団をはぎとり、

 

無理矢理アニキを起こす。

 

 

当然、睨まれた。

「んだよ、うるせーな!!!」

「おめぇ、いたのかよ!」

 

そんな言葉に怯んでいる場合ではない。

 

母が倒れてると私は怒鳴る。

 

 

アニキは目を見開いて飛び起きる。

 

 

結果、母は病院へはいかず

アニキと共に部屋に戻って行った。

 

 

〈なんだったんだ…病院は…?〉

 

 

次の日の朝。

 

いつも通り「おはようございます」と。

続けて「体調…大丈夫ですか…?」と聞く。

 

 

母から返ってきた言葉は。

 

 

【人殺し】

 

【お前は母親を見捨てた人殺し】

 

【私が死んだらお前のせいだ】

 

 

他にも言われた気がするが

正直、覚えていない。

 

脳に強く残った言葉はこれだけだ。

 

【人殺し】

 

 

母の言いつけを守っただけだった。

でもそれは時と場合によるのか?

どんな状態なら救急車を呼ぶの?

どんな状態なら呼ばなくていいの?

 

私が臨機応変に対応出来なかったから

私が悪いんだ。

 

 

 

その一件から『救急車』というものが

私のトリガーになった。

 

もちろん、常に脳がその存在と過去を

照らし合わせて発作を引き起こす…

という訳では無い。

 

例えば、埼玉に住んでいた時。

勤め先で倒れた人がいて救急車を呼んだ。

 

 

私はフラッシュバックを起こし

その場で気絶した。

目を覚ましたら事務所だった。

 

 

自分が勤め先で発作を起こし倒れた時。

これはその場にいた上司に聞いた話だが、

『救急隊員を拒絶しまくってて』

『暴れるお前を押さえ込むのに必死だった』

『救急隊員に暴言を吐いていた』と。

 

何を言ったのかは記憶していない。

上司もそこまでは私に話さなかった。

 

 

一方で救急車の音が平気なときもある。

 

 

こればかりは脳の仕業。

 

 

【事前に対処する】ということができない。

 

 

フラッシュバックするか否かは

脳だけが知っている。

 

 

だからなるべく、

外の音を遮断するように。

 

私は親友との思い出の曲を聞いては

当時の私を想う。抱きしめる。

 

 

【大丈夫だよ…】と。

 

 

蹲ってるもう1人の私を抱きしめる。

 

 

誰にも守れないもう1人の私。

 

私が守ってあげるしかない。

 

 

 

もう1人の私と今の私を繋ぐ

キズナソング