ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

過去と、今

 

「進学」

「運転免許 取得」

 

この時期になると耳にする嬉しい報告。

 

12年前を思い出す。

 

私は進学したかった。

でも

『お前にその資格はない』

『お前に出す金もない』

そう親に言われた。

 

奨学金も考えたけど

『借金するつもりか、父親と同じように』

そう親に脅された。

 

【お母さんが正しい】

【お母さんに怒られる】

【お母さんに殴られる】

【お母さんに置いていかれる】

 

そう洗脳されきっていた私は。

 

進学の道を断つしかなかった。

 

入社する際、

〈運転免許必須〉という条件があり

『倍にして返せ』

そう母に言われ

アルバイトを2つ掛け持ちしていた私は

早朝にコンビニでアルバイト

そのまま教習所

夕方にはスーパーのレジで夜までアルバイト

 

そんな毎日だった。

 

入社の条件で〈運転免許必須〉が無ければ

免許取得さえ親は許さなかっただろう。

 

その後の車購入も

『倍にして返せ』

『死ぬまで働け』

そう親に言われ続けた。

 

実際、

私の給料は全部

母が徴収していた。

 

厳密に言うと

私は自分の口座を持っていながら

カードも通帳も取り上げられたのだ。

引き落とせるのは母だけ。

使えるのは母だけ。

 

いくら働いても

毎日100円しか貰えなかった。

 

(お金を貯めて進学しよう)

入社当時、私は心に決めていた。

それほどまでに学びたいことがあった。

 

(3年。3年は耐えよう)

そう考えていた。

きっと母は貯金してくれている。

3年も働けば許可してくれるはずだ。

 

どこまでも

母を信じていた。

 

毎日、罵倒され殴られ

奴隷のように扱われていたのに。

母を信じていた。

味方だと信じようとしていた。

 

1度は母に棄てられた。

でも7年後には戻ってきてくれた。

 

都合のいいように

本質から目を背けて

自分を保つために

母を肯定していた。

 

そうしなければ

私は壊れてしまう。

どこかで分かっていたのだ。

 

そんなことでしか

身を守る方法が分からなかった。

 

 

そんな私が

目の前にいるような感覚になる。

12年前。

夢も希望も取り上げられ

自ら掴みに行くことさえできなかった私。

 

母から逃れる方法も分からず

母から逃れて生きることは

【怖い】と思っていた私。

 

【殴られる方がマシだ】と

棄てられることの恐怖から抜け出せず

どんなことをされても

母の元にいようと必死だった私。

 

母の求める娘でいなければと。

 

そんなあの頃の私。

 

フラッシュバックする頻度が

増えたような気がする。

 

ハッキリと覚えてる訳では無いが

フラッシュバックから現実に戻った時

あの頃の光景だけが頭に残る。

三者の目線で

蹲る私と、それを見下す母の姿。

ズキッと痛む頭に

その光景が写し出される。

 

 

今、

【こんなときに親に頼れたら】と

思う時が多々ある。

 

生活費さえ無い時。

発作が起きた時。

迷った時。

わからない時。

 

【相談出来たらいいのに】と。

 

そんな家族がいたら

面倒かもしれないけれど

心の拠り所にはなるんだろう。

 

<帰れる場所>

それが家族なんだろう。

 

 

私には無い。

 

そんな場所にはならなかった。

 

<帰りたくない場所>

そうなってしまった。

 

でも

あの時、教習所に行けたのも

その後、車を買ったのも

親がいたからだ。

 

親がいたから

【親はいらない】と分かった。

 

最初からいなかったら。

最初から手を貸してくれなかったら

今の自分は無い。

 

良くも悪くも。

 

私は存在すらしていないのだ。

 

どれだけ恨んでも

どれだけ脳内で親を殺していても

完全に消えてくれないのは

分かっているからだ。

 

 

【当たり前のことなんて1つもない】

それを教えてくれたのは

 

他でもなく

母親だから。