欠陥品②
小学生の入学前に、私は沢山の習い事をした。
ピアノ、剣道、ペン習字、テニス、ゴルフ。
ギターを弾く父の姿に憧れ、父が行く所にはどこにでもついていった。それがテニスとゴルフである。
そんな私を母は冷たい目で見ていた。
父には前妻の間に生まれた娘がいた。
その娘の親権を得た父は、母と結婚しようとしていた。母のお腹には私の兄がすくすくと育っていたからだ。
だが、その矢先。
私の姉になるはずだったその娘は、亡くなった。
川に落ちて溺れている友達を助けに川に入り、川底に頭を強打し。小学1年生にして亡くなった。
父は荒れ狂ったと聞いた。そのときに借金をしたと母から聞いた。
そして、それから3年後に私が生まれた。
父は「生まれ変わりだ!」と歓喜したらしい。
先に生まれた兄には無頓着で、なんなら家にも帰らずフラフラしていた父が、私が生まれた途端、人が変わったように連れ回した。
それが母の逆鱗に触れたのだ。
父に溺愛されていた。
そういえば聞こえはいいが、父の目には私ではなく亡くなった娘が写っていたのだ。
「何もできないまま、教えられないまま死んでいった。だからこの子には…」
そんな声さえ聞こえていた。
私は知っていたのだ。古びたテレビ台のガラス扉の中に飾られている、知らない子供の写真を。
自分にどこか似てるこの子供は誰なのか。
母に聞いたのは保育園に通っている頃だ。
「あなたのお姉ちゃんよ。」
そう言って、どんな子だったのか、どんな最後を迎えたのか、父がどうなってしまっていたのか。
子供ながら溺愛されてる理由を理解したのだ。
「私のことは見えていない。この人の人生を生きるんだ。」
それでも、父の愛情が嬉しかった。
何をしても誉めてくれた。許してくれた。
父の膝の上に座りゴルフ中継を見たり、麻雀のゲームをやったり。
習い事がない日はゴルフやテニスを楽しんだ。
どんどん母の顔は変わっていく。
長男のことは母に任せっきりだったからだ。
長男は好奇心旺盛な私とは正反対で、無頓着で物静かな子だった。笑うことすらしなかったと聞いた。
気難しい子供だったのだ。
どんどん母の顔は変わっていく。
いつの間にか、私たち兄妹に対する当たりが強くなった。
当時、曾祖母が遺してくれた一軒家の2階に住んでいたのだが、母が何をしても泣きも笑いもしない無表情の兄の顔を見て、母は兄を階段から突き落とした。
それをただ私は見ていた。今でも思い出すと吐き気がするほどの光景だった。
まだ私は保育園生、兄は小学生になった頃だったと思う。
そのまま母は保険の仕事に出掛けた。
その日、兄を病院に連れていった覚えはない。
気づいた父が翌日病院に連れていったことは覚えている。
父が聞く。
「将人(兄)、なにがあった?」
兄は言う。
「階段から落ちただけ。」
私は何も言えなかった。
言ったら何かが壊れると思ったのだろう。
兄の意思を尊重した。それしかできなかった。
あのとき、私が真実を伝えていたら。
母を止められたかもしれない。
これ以上、酷くなることはなかったかもしれない。
母が家を出ることも、なかったかもしれない。
―――この日から、「家族」が壊れ始めていく。