ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

欠陥品②

小学生の入学前に、私は沢山の習い事をした。
ピアノ、剣道、ペン習字、テニス、ゴルフ。
ギターを弾く父の姿に憧れ、父が行く所にはどこにでもついていった。それがテニスとゴルフである。
そんな私を母は冷たい目で見ていた。

父には前妻の間に生まれた娘がいた。
その娘の親権を得た父は、母と結婚しようとしていた。母のお腹には私の兄がすくすくと育っていたからだ。

だが、その矢先。

私の姉になるはずだったその娘は、亡くなった。
川に落ちて溺れている友達を助けに川に入り、川底に頭を強打し。小学1年生にして亡くなった。

父は荒れ狂ったと聞いた。そのときに借金をしたと母から聞いた。

そして、それから3年後に私が生まれた。
父は「生まれ変わりだ!」と歓喜したらしい。
先に生まれた兄には無頓着で、なんなら家にも帰らずフラフラしていた父が、私が生まれた途端、人が変わったように連れ回した。

それが母の逆鱗に触れたのだ。

父に溺愛されていた。
そういえば聞こえはいいが、父の目には私ではなく亡くなった娘が写っていたのだ。

「何もできないまま、教えられないまま死んでいった。だからこの子には…」

そんな声さえ聞こえていた。

私は知っていたのだ。古びたテレビ台のガラス扉の中に飾られている、知らない子供の写真を。
自分にどこか似てるこの子供は誰なのか。

母に聞いたのは保育園に通っている頃だ。

「あなたのお姉ちゃんよ。」

そう言って、どんな子だったのか、どんな最後を迎えたのか、父がどうなってしまっていたのか。

子供ながら溺愛されてる理由を理解したのだ。


「私のことは見えていない。この人の人生を生きるんだ。」


それでも、父の愛情が嬉しかった。
何をしても誉めてくれた。許してくれた。
父の膝の上に座りゴルフ中継を見たり、麻雀のゲームをやったり。

習い事がない日はゴルフやテニスを楽しんだ。


どんどん母の顔は変わっていく。


長男のことは母に任せっきりだったからだ。

長男は好奇心旺盛な私とは正反対で、無頓着で物静かな子だった。笑うことすらしなかったと聞いた。
気難しい子供だったのだ。


どんどん母の顔は変わっていく。


いつの間にか、私たち兄妹に対する当たりが強くなった。

当時、曾祖母が遺してくれた一軒家の2階に住んでいたのだが、母が何をしても泣きも笑いもしない無表情の兄の顔を見て、母は兄を階段から突き落とした。

それをただ私は見ていた。今でも思い出すと吐き気がするほどの光景だった。

まだ私は保育園生、兄は小学生になった頃だったと思う。


そのまま母は保険の仕事に出掛けた。
その日、兄を病院に連れていった覚えはない。

気づいた父が翌日病院に連れていったことは覚えている。

父が聞く。
「将人(兄)、なにがあった?」

兄は言う。
「階段から落ちただけ。」

私は何も言えなかった。
言ったら何かが壊れると思ったのだろう。
兄の意思を尊重した。それしかできなかった。


あのとき、私が真実を伝えていたら。
母を止められたかもしれない。
これ以上、酷くなることはなかったかもしれない。

母が家を出ることも、なかったかもしれない。


―――この日から、「家族」が壊れ始めていく。