ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

欠陥品⑬/闇

 

詩の意味も含めて。

改めて綴ろうと思う。

 

 

ーーーーーーーーー

 

母がいなくなる前。

 

私たち本当の家族には

ルールがあった。

 

「お母さんが怒ってる時には

この部屋に来ること」

 

【この部屋】というのが、

3畳の小さな部屋だ。

 

子供部屋、リビング。

そしてこの小さな部屋。

普段はただの物置部屋だ。

衣装ケースには

営業マンだった父のスーツ一式や

ゴルフウェアの数々。

家族全員分の衣類が入った大きなタンス。

そして1畳分のスペース。

ここにいつも呼び出された。

 

呼び出されるのは決まって私だけ。

 

お風呂上がりに母が

濡れた髪をドライヤーで乾かしてくれる。

この時間が1番の幸せだった。

 

 

私は。

母が大好きだった。

 

 

 

殴られても怒鳴られても

(いい子じゃない自分が悪い)と

自分自身を嫌った。

(お母さんに褒めてもらうんだ!)と。

それだけを考えていた。

 

だが、幸せな時間は続かない。

その時間は【父がいる時】限定だからだ。

母が濡れた髪を乾かしてくれるのは

決まって父がいる時だけだった。

 

それ以外は。

 

<お仕置き部屋>

 

学校から帰ってきて塾がない日は

父が帰ってくる夜遅くまで

この部屋に閉じ込められた。

勝手に出ることも

電気をつけることも許されず、

正座している脚を崩すことさえ

許されなかった。

父が帰ってきたら

何も無かったように振る舞う。

それが出来なければ

父の目が届かない場所で殴られた。

 

閉じ込められる度に

外から聞こえる元気な声を聞いていた。

窓はあるが届かない高さ。

そこから出れば

屋根伝いに外に出られる。

 

でも。

 

そんな勇気も知恵もなかった。

 

考える必要もなかった。

 

【自分が悪い】から。

 

いつしか

【お母さんに嫌われている】からと

考えを改めた。

お仕置きには何があっても呼ばれない、

兄の姿を見て思ったのだ。

 

【お兄ちゃんがいればいいんだ】と。

 

小学校低学年ながら

どこかで思っていた。

 

【それなら産まなきゃよかったのに】と。

 

愛情に飢えた私は

ただ、待っていた。

 

優しく頭を撫でてくれるその手を。

 

 

その手は。

二度と私の頭を撫でることはしなかった。

 

 

3畳の部屋で

母を待つあの頃の私が

夢の中で映し出される。

 

 

今でも。

愛情を待っている後ろ姿が。