ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

月詠み/5月編

 

 

「5月病」

 

4月から始まった新しい環境に適応できず、

うつ病に似た症状がゴールデンウィーク明け頃から

人によって引き起こすことが多いため

この名称が存在している。

 

それなら、私の症状には

どんな名称が当てはまるのだろう。

 

ーーーーそんなことを考えた5月ーーーーー

 

 

 

5月31日。

 

掛かりつけの心療内科へ、

いつもより重い足取りで向かった。

 

私の担当医は、PTSD診療のエキスパートだ。

 

私の異変にはすぐ気づく。

 

 

5月。

私にとっては鬼門。

 

 

どこに行っても何を見ても「母の日」の文字。

そして16日は私の母の誕生日。

 

 

考えないようにしていても、

考えてないと自分は思っていても、

母の存在を強く意識するのが5月。

 

その母から20年以上、

痛めつけられた私にとっては

恐怖しか思い浮かばない。

 

それが5月だ。

 

 

だが今年は違う。

SNSで知り合った人の誕生日が

母の誕生日と同じだったのだ。

 

 

嫌な思い、嫌いな日が素敵な日に塗り替わる。

 

 

事実、素敵な日だった。

 

 

しかし、病気は甘くない。

 

 

その数日後、

私の中で何かが壊れた音がした。

 

 

気づけば、慕ってくれていた人に

暴言を吐いていた。

 

 

私は1ヶ月以上、感情を押し殺していた。

「私にだけなぜ返信をしないのか」

「直接連絡しても反応がない」

 

知らずの内に嫌われているのか?

何かしてしまったのか?

 

そんな不安と寂しさ、

時には怒りに変わってしまった時もあるが

必死に耐えていた。

 

 

偶然であることを願っていた。

 

 

その状態が1ヶ月以上続き、

遂に爆発してしまったのだ。

 

 

爆発した後に残ったのは後悔と、

母と被る自分への恐怖だった。

 

 

その話を担当医にすると、

「ダムが決壊したんだね」

「その人へ伝えたかった気持ちは別のことでしょ?」

「ただ、寂しかったんだよね」

 

「お母さんに見てもらえなかった、見て欲しかった、

もうそれが長年擦り込まれてるから、

どうしてもフラッシュバックするんだよ」

 

「じゃなきゃ病気になってないから」

 

 

さすが名医だ。

 

 

だが、それらと向き合っていかなければならない。

 

 

衝動的に全部を壊したくなる漠然とした不安感。

その不安感と共に生きていく恐怖感。

 

 

「相談すればいい」

 

 

そう思う人が大半だろう。

 

 

それがまた不安を生む。

 

“迷惑ではないだろうか”

“嫌われるかもしれない”

 

 

それなら私はただ

笑って、明るい自分を演じればいい。

 

 

“それは今までと同じだろう”

“それで母親に認めてもらえたか?”

“それが嫌で飛び出したんじゃないのか?”

 

 

自問自答を繰り返す。

 

 

答えがどこにあるのか、分からない。

病気に気づくまで20年かかったのなら、

答えにたどり着くにはその倍の年月が必要だろう。

 

 

 

あまりに残酷だ。

 

 

 

それでも、私は今できる精一杯の力で

渦巻く感情と闘い、理解し、消化して

“素敵な日だったな”

と思う日を1日でも増やし積み重ねて、

 

 

せめて『生まれてきてよかった』と

思える未来になるように繋げていきたい。

 

 

 

母の元から飛び出して3年が経とうとしている今、

あの日の自分に後悔はしないように。

 

 

2.5次元のような世界で、

今はまだ、ゆらゆら揺られていよう。

 

 

 

 

 

来月の私は

笑っているだろうか。

 

“素敵な日”を幾つ詰め込めるだろうか。

 

そんな自分でありますように。

 

ーーーーーー月詠みーーーーー