ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

崩壊②

 

 

2018年12月21日。

 

 

もうすぐ、

2度目の結婚記念日。

 

 

2015年12月29日。

私の独立記念日

 

翌年

2016年12月29日。

結婚記念日。

 

記念日というものをあまり増やしたくない。

 

私の意向だった。

 

 

退社が決まっていた私は、

ボロボロになっていく自分を

受け入れてくれるのは

昔から私のことを追いかけ続け

私のことを見てきたコイツしかいないと、

そう思った。

 

発作の対処にも免疫がある。

家の事情も知っている。

もちろん、minatoのことも。

 

 

今まで『後輩』としか

見てこなかったが

壊れていく私にとっては

唯一の希望でしか無かった。

 

 

 

それが

勘違いだったと

霧が晴れていくような感覚に変わったのは

結婚して1年も経たない頃だった。

 

 

「病気っていいよなー」

「それだけで許されるんだもんな」

「俺も病気になりてーわ」

 

思い通りに行かないと殴られた。

殴れない時には物を投げ暴れ出す。

 

そして、罵声を浴びせる。

 

母と同じ。

 

 

フラッシュバックの頻度が

多くなって行った。

 

 

セカンドオピニオンでの初診で

真っ先に【入院】というワードが出た。

 

 

私は、浪費癖の酷い野郎を

1人にしておくことが怖くて断った。

 

 

ひたすらご機嫌をとり、

怒らせないように

顔色を伺う日々。

 

 

実家にいた頃と何も変わらない。

 

 

 

どんどん生力を失っていく私を診て

「旦那さんと離れて少し休もう」と、

そう先生に言われ

拒み続けていた【入院】を選んだ。

 

 

1ヶ月の予定だったが、

野郎が私が居ないことに慣れて

スロットに行くようになったため

予定より早く、3週間で退院。

 

 

また地獄が始まった。

 

DV被害者を保護するシェルターへ

入るようにも提案された。

 

でもそれも結局

野郎を野放しにすることと変わらない。

 

 

私に頼れる家族はいない。

友人もいない。

 

自分の家しか居場所がなかった。

 

 

ズカズカと入り込んだ野郎を

どうにかする余力はもう無かった。

 

 

2018年12月21日。

出張から帰ってきた。

今年の3月からようやく、

社員として転勤族になった。

 

このままでいいかもしれない。

 

でも。

 

 

もう一度、

私の人生を歩きたい。

 

私の人生にこれ以上

入り込んで欲しくない。

 

 

帰ってきて早々に

離婚の話になる。

 

その中で。彼は。

 

 

「元々好きじゃなかったんだと思う」

「ただ自分のモノにしたかった」

 

 

そう言い始めた。

 

 

私の中で何かが崩れていく。

 

私の中から何かが消えていく。

 

 

私は

 

なんのために

 

マサヤからの申し出を断り

 

後輩の盾になろうとしたんだ?

 

なんの意味もなかった。

 

 

なんのために

 

小さな希望を掴んだんだ?

 

 

こいつの欲望を満たすためだけだった。

 

 

それに応えることを拒んだ私は

 

ただの壊れた人形だった。

 

 

少なくとも

 

この人にとっては。

 

 

母もそうだった。

 

 

操り人形のように私を扱った。

 

 

使い物にならなければ

棄てられた。

 

 

 

 

壊れた人形は棄てられる。

 

 

 

私は壊れた人形。

 

 

 

 

誰にも直してもらえない。

 

 

 

 

自分でも直せない。

 

 

 

崩れていく私の心。

 

 

 

 

壊れていく。

 

 

 

ものすごく気分がいい。

 

 

 

もっと壊れろ。

 

 

 

もっと。

 

 

 

もっと壊れろ。

 

 

 

 

 

私には、

それがお似合いだ。

 

 

生まれた時にそう決まっていた。

 

 

そこに戻るだけ。

 

 

 

それだけなんだ。