ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

「さよなら」の準備

 

 

2019年1月4日。

 

私はとある戦友に連絡した。

 

NTT時代、

一緒に足掻き、悩み、

それぞれのスタンスを見つけ

テレフォンアドバイザーとして

一緒に走った戦友。

 

ライバルでもあり、

戦友でもある同期の1人だ。

 

 

 

2017年6月30日。

私は総務室で退職のための

最終手続きへ出社。

その頃の私は抜け殻だった。

 

仕事が生きがいだった。

職場が大好きだった。

クレーム対応も

難しい手続きも、もちろんあった。

 

楽しいことばかりではなかったが

『99人クレーマーだったとしても

たった1人の“ありがとう”で救われる』

 

それが私たちの仕事だ。

 

 

声だけでの対応。

お客様の声に耳を傾け、

状況を一つ一つ整理し、

このお客様にとって何が必要で

何に困っているのか。

その助けになることが

私たちの仕事。

 

もちろん、販売ノルマはあるが

無理強いはしない。

【このお客様にとっては不利益だ】と

思った時点で販売はしない。

 

それが私のスタンスだった。

 

インターネットがあるのが普通。

でもその裏では

たくさんのオペレーターがいて

たくさんの工事者がいて

ときにはインターネットが引けない、

そんなことだってある。

 

【常識はあってないようなもの】

 

そんな世界。

 

そんな世界から

離脱せざるを得なくなった私は

どう生きていけばいいのか

分からなかった。

 

『あなたに任せたい』

そう言ってくれた何人ものお客様。

『○○さんに紹介されて』と

指名で電話がかかってくることも

少なくなかった。

 

【誰かの生活の役に立っている】

 

それを

手放さなければならない現実に

心は追いつかなかった。

 

総務室で

荷物整理を始める上司。

 

目の前には

私が独自で作り上げた資料の山。

後輩たちにも貸した、

私だけのマニュアル本。

 

私がここで働いていた証。

 

それが目の前で撤去されていく。

 

 

私は。耐えきれなかった。

 

ここにいた証を残せない。

 

全てがシュレッター行き。

 

私は。

気づいたら総務室から飛び出し

上司の腕を振り払い

その場から去った。

 

 

「お世話になりました」

「ご迷惑をおかけしました」

「治療が落ち着いたら戻ってきます」

 

言いたいことはたくさんあった。

 

でも。

私は発作が起きた状態のまま

気づけば車を運転して帰宅していた。

 

 

言えなかった言葉。

 

 

総務室にいたこともあり、

オペレーターの仲間がいるところへ

挨拶に行くこともできなかった。

 

 

あれから1年と半月。

 

 

私はこの街を出ると決めた。

 

 

その前に

やらなければならないと

咄嗟に思った。

 

 

ちゃんと「さよならを言おう」と。

 

同期に連絡をして、

この街を去ること、

もう戻ってくるつもりはないこと、

その前に会いたいと。

そう伝えた。

 

その同期は喜んでくれた。

『会いたい』と言ってくれた。

 

 

私たち同期は仲が良かった。

入社時は13名。

最終的に残ったのは

私を含め6名。

 

毎月【同期会】といって

呑みに行く程に仲が良く、

プライベートなことまで

話せる仲だった。

 

 

共に切磋琢磨して

笑ったり悩んだり

愚痴を言ったり

助け合ってきた大切な仲間。

 

「さよなら」を言うんだ。

 

そして

「ありがとう」と。

 

1年半前に伝えられなかった言葉。

 

 

あの日の私に対しても

ちゃんと【さよなら】をしなくては

前に進めない。

 

 

もう逃げない。

 

そして、必ず

テレフォンアドバイザーとして

私は戻ってくる。

場所は違えど。必ず。

 

私の天職だから。

 

 

 

そのために始める。

【さよならの準備】を。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーー

同日。

私が【パパ】と慕っていた課長へ

電話をした。

私がいたセンターから異動し

今はつくば116にいる。

 

プライベートで

2人で呑みに行ったこともある。

 

母との確執のことも話せる人。

 

【お前はお前だ】と

言い続けてくれた人。

 

何より、私の仕事をみて

【お前は上を目指せ】

【お前のその力が必要だ】と

背中を支え続けてくれた恩人。

 

同じく退社してから

連絡することを躊躇していた。

 

もちろん、

病気のことも知っていて

【それはお前の強さだ】と

言ってくれた。

 

母に写真を送ったこともあるが

そのとき母は

『お前の父親の兄に似てる』と

言うほど。

母も信頼を置いていた。

 

パパに新年の挨拶と共に

これから進む道を話した。

 

【知り合いはいるのか?】

【頼れる人はいるのか?】

【母親は大丈夫か?】

【治療はどうなんだ?】

 

質問ばかり飛んできた。

 

本当の父親のように。

 

【戻ってこいよ、116に】

 

分かってるよ、パパ。

 

【無理しないようにな】

 

分かってる、大丈夫だよパパ。

 

【落ち着いたらまた連絡してこい】

 

ありがとう、パパ。

 

パパが私を認めてくれたから

私はあの仕事と向き合い

お客様を想う心を大切に

苦しくてもやってこれたよ。

 

パパ。

ありがとう。

ーーーーーーーーーーーーー