ぽンすけ。ブログ

主に闘病記。タイトル【欠陥品】は病気の発症とされる時期(生い立ち)について。毎月末に【月詠み】として1ヶ月の軌跡をまとめています。他は思ったこと、言えないこと、言いきれない想いを綴ってます/⚠閲覧は自己責任

また、どこかで。

 

NTTに入社したとき。

3ヶ月の研修を共に乗り越え

約4年、

苦労を分かち合ってきた同期。

 

退社してから約2年の月日が経ち

地元を離れる前に…と。

久しぶりに呑み会。

 

みんな

何も変わっていなかった。

 

 

毎月のように

『同期会』を開き

酒を呑んでたいつものメンツ。

 

雰囲気は何も変わってない。

特別扱いもしない。

薬に犯される前の私も、

犯されてからの私も、

見ていた仲間たちだ。

 

事情は知っている。

 

会話に出てくる会社の人のことも

私は覚えている。

仕事の内容も、辛さも。

 

ただ。

 

仲間たちは真実を知らなかった。

 

私は薬の副作用で

嘔吐と下痢、頭痛、目眩に

毎日襲われた。

胃液しか出ないのに

トイレから動けない。

横になれば世界がグルグル回り

立ち上がれば

世界が反転する。

 

車を運転すると

自分がどこに向かってて

どこを走っているのか

突然分からなくなって

パニックになる。

無事に会社に着いても

得体の知れない恐怖が襲い

またパニックになって

車から降りられない。

 

そんな状態でも

出社していた。

 

でも。

 

仲間がいる場所には行けなかった。

 

私が務めていたのは

10階建てのビルの中の

9階と10階部分。

 

9階がコールセンター、

10階が総務室・ロッカールーム、

そして休憩所がある。

 

しばらく私は

コールを受ける業務から外れ、

同じく9階の課長デスクの隣で

応対テープを聴いて

文字に興していた。

いい応対、問題がある応対、

改善案などを毎日レポートにして

提出していた。

 

だが、突然。

私は10階にある総務室の

隅っこのデスクに追いやられた。

 

9階への立入りは禁止。

理由は

【業務(コールを受ける業務)の邪魔】

…と告げられた。

分からないことがあると

私に聞いてくる受付者もいた。

私のことを気にかけてくれる人もいた。

 

それは【業務の妨げになる】と

判断されたのだ。

 

同じだ。

 

【病人は病人らしく大人しくしてろ】

【イベントに来るな】

 

同じだったのだ。

 

私は突然のことで

理解が追いつかなかった。

 

なぜみんながいる9階へ

行ってはならないのか。

 

なぜ私の仕事は

『所長との面談』なのか。

 

這って出社しても

私に仕事は無かった。

ただ、契約満了の日が来るのを

10階の総務室の隅っこで待っていた。

それだけだった。

 

 

そんなことは知らない同期。

 

 

事実を告げると驚いていた。

 

「ずっと休んでてそのまま退社した」

そう思っていたらしい。

 

 

東日本の売上ランキング、

2年連続でTOP50に入っていた私は。

 

何もかも取り上げられた。

それが私の末路だった。

 

当時は

味わったこともない敗北感と失望で

1番辛い時期だった。

 

 

今は所長も人事異動で変わり

雰囲気は変わったと

姉さんから聞いていた。

 

 

私が所長にされたことは、

今思えばパワハラに近いもの。

【病院へ行け。診断書を出せ。】

そう言われて

心療内科へ行ってから。

全ては変わってしまった。

 

私が抱えているものに

病名が付けられ

薬漬けになるのは分かっていた。

高校のときから出ていた症状だ。

嫌でも分かる。

 

それを強制した上に、

仕事を取り上げ、

邪魔者扱いした前所長。

 

 

私は許さないと

同期に言った。

 

同期もまた、憤っていた。

 

 

そんなことを言っていても

終わったこと。

仕方が無いことだと分かっている。

 

だから続けて同期に告げた。

 

『NTTのサポートセンターに就職する』

 

私は前を向いていると。

同期には知っていて欲しかった。

 

『私に内線していいから』と、

私は笑って言った。

 

 

同期たちは

「116に戻るんでしょ?」と、

迷いもなく言った。

 

「お客様の気持ちを汲むのに長けてる」

「何を言いたいのか、すぐ見抜く」

「そんな人だもん、116に戻るよ」と。

 

そして。

 

「どんな形でもまた一緒に」

「仕事したいね」と。

 

同期たちは言ってくれた。

 

 

部署は違えど、

取り扱っている商品は同じ。

同期たちが提案し販売し、

いざお客様が操作に悩んだ時

サポートセンターを案内する。

 

そのサポートセンターに私がいる。

 

こんな素敵なことはない。

 

「全部そっちに応対投げるね」と

笑い合える同期。

『そのまま文句の内線かけるわ』と

言い返せる同期。

 

なんて素敵な繋がりなんだろう。

 

 

私は

あの時、あのタイミングで

NTTに入社して

本当に良かったと。

みんなと同期で良かったと。

そう伝えた。

 

 

退社してからずっと

言えずにいたこと。

伝えたかったことも一緒に。

 

 

それは。

 

「ありがとう」

 

そして。

 

「これからもよろしくね」

 

 

「また、どこかで」

 

【当たり前】

 

これが出来なくなったのが2年前。

 

【働いて当たり前】

【料理するのが当たり前】

【洗濯するのが当たり前】

【掃除するのが当たり前】

【朝、起きるのが当たり前】

【夜、寝るのが当たり前】

【ご飯を食べるのが当たり前】

 

【死ぬまで生きるのが当たり前】

 

 

当たり前だったことが

出来なくなったとき。

私はその度に自分を責めた。

 

 

〈なんで出来ないんだ〉

〈どうして動けないんだ〉

〈なんで働けないんだ〉

〈なんで吐いちゃうんだ〉

〈なんで眠れないんだ〉

〈どうして言葉が発せないんだ〉

〈なんで笑えないんだ〉

〈なんで涙も出ないんだ〉

 

〈なんで生きてるんだ〉

 

 

姉さんは

そのときの私のことを振り返り

『ただの屍だった』と言った。

 

 

当然のように出来ていたことが

突然出来なくなる。

怖くて堪らなくなる。

これからどう生きていけばいいのか

分からなくなる。

不安に心は押し潰される。

 

それなら

生きる意味などないと。

心も、

身体も、

脳も。

機能しなくなる。

 

誰が決めたか分からない、

【当たり前】に分類されること。

【出来て当然】と言われること。

 

 

突然、

それら全てを

奪われたことがありますか?

 

手のひらからこぼれ落ちていく、

そんな感覚に陥り

絶望したことがありますか?

 

拾っても拾っても

零れていくんです。

 

大切なものだけがこぼれ落ちて

いらないものだけが膨らんでいく。

 

【自責】というものだけが

膨らんでいく。

 

出来ない自分が悪い。

分からない自分が悪い。

 

 

今ようやく、

【当たり前】を拾って

ポケットに入れて

落とさないように

一つ一つ丁寧に、大切に、

拾い集めています。

 

またこぼれ落ちてしまうかもしれない。

そんな不安と闘いながら、

〈でも、また拾えた〉という事実に

嬉しさや幸せを噛み締めて、

〈またこぼれたら拾えばいい〉

そう思っています。

 

〈出来た〉という事実に

変わりはないから。

 

 

【当たり前】を

【当たり前】だと思わないで

今あるもの、

これから掴むものを

大切にしてください。

 

 

私は今、

幸せです。

 

 

身体の痛み、

傷は

癒える

 

でも、

心の痛み、

傷は

癒えない

 

ただ

ただ深くなっていく

 

理由もない涙が止まらない

けど

立ち止まってもいられない

 

『笑顔』の仮面をつける

 

仮面に隠した本当の私の顔は

 

誰も知らない

知らなくていい

 

私自身が

もうどれが本当の自分なのか

分からないのだから

 

 

 

誰も知らない本当の私

 

 

きっと

あの日に死んだんだ

 

本当の私は

 

誰もいなくなった日

両親に棄てられた日

 

あの日から

本当の私を棄てたんだ

殺したんだ

 

 

なら

 

 

<私>はどこ?

 

『頑張ったね』

『頑張れたね』

『次に生かそうね』

 

そう言ってる自分

 

【ここまでしか出来ないのか?】

【まだ出来ないといけないだろ?】

【もっと踏ん張れよ】

【クズはクズのまま変わらないんだよ】

 

【お前はまた、病気に負けたんだ】

 

そう言う自分との間で

ただ

 

ただ

 

耳を塞ぐ。

 

 

耳を塞いでも聴こえてくるから

頭を打ち付ける

 

 

これ以上言うな

 

これ以上責めないで

 

やめろ

 

やめて

 

 

 

実は。

 

実は。

 

12年前。

新入社員として

同期として

とあるスーパーに入社してから。

 

親友とは

何かと縁があった。

 

入社した時には

現状闘っている病の症状は出ていて

研修中、発作を起こし倒れて

緊急搬送された光景を

親友は目の当たりにしていたし

今も覚えていると言っていた。

 

 

普段から連絡を取る訳でもない。

ただ、何かあれば連絡するし

連絡がある。

 

年に1回か2回程度だ。

 

今回、その親友が住む家から

30分圏内の所に移住を決めた。

 

それも、たまたまだ。

 

アパートの契約に立ち会った時、

私は何度かパニックになった。

発作までには至らなかったが、

それは隣に

私の現状を1番知っている、

信友がいたからだ。

 

いち早く、私の異常に気づく。

 

 

その光景を何度か見た親友。

 

実は。

私は12年前よりも

病が悪化していることも、

自殺未遂をしたことも

親友には話していなかった。

 

厳密に言うと

親友とはいえ、怖かったのだ。

〈離れていくのではないか〉

〈面倒だと思うのではないか〉

そんなことばかり気にしていた。

 

アパートの契約が終わり、

親友宅に泊まりに行く時に

【私の取扱について】

という話を勇気を出して切り出した。

 

全てを打ち明けた上で

 

・すぐに救急車は呼ばないでほしい

・声をかけ続けて欲しい

・フラッシュバックしてる可能性が

あるときは、ここがどこで、誰なのか

話しかけて欲しい

・ODしてると異常に喉が乾くから

ポカリを持ってきて欲しい

 

この4点だ。

 

 

すると親友は言った。

 

『分かった。』

 

『私も実は話してないことがある』

 

そう彼女は言い出した。

 

『命っていうものに執着がないんだ』

『死にたかったら死ねばいいと思う』

『私は死ぬ勇気がないから生きてるだけ』

 

『だから生きて欲しいって思わない』

『キミの好きなようにしたらいい』

 

と。

 

『ごめんね、冷たい奴で。』

 

と。

 

そして。

 

『お葬式は私があげるね!』

と。

 

私は思わず笑ってしまった。

 

冷たい奴だなんて思わなかったのだ。

むしろ安心した。

彼女は昔からそうだった。

変わっていなかったのだ。

 

私は

「葬式なんてやらんでいいよ」

「焼いてくれればいい」

「骨は海へ撒いてくれ」と。

 

昔から彼女の思考は

ぶっ飛んでいた。

 

『実はね、私、嫉妬してたんだ』

そう彼女は言い始めた。

 

『キミがパニックになったとき、私、

何にも思わなかったんだよね。』

『正確には何にも出来ないなって。』

『でも、違ったでしょ?あの人は。』

『キミを守ろうとしてた。』

 

彼女は

まさかの信友に嫉妬していたのだ。

 

『私にはそれが出来ないから。』

『2人がお互い信頼し合ってて…

見てると自分の冷酷さを痛感する。』

 

そう言って彼女は笑った。

 

私は

「あの人はそうゆう人だから」

「私に対してだけって訳でもないし」

「でもお前は違うでしょ?」

「私にだけは本音言ってくれるじゃん」

そう答えた。

 

「お前を冷たい奴だとは思わないよ」

「そのくらいでちょうどいい」

「お前の隣は居心地がいいからな」

「初めて会った時から変わらんよ」

 

「そもそもお前の思考が

ぶっ飛んでんのは昔から知ってるよ」

 

と。私も笑った。

 

「私も大概お節介野郎だけど」

「あの人は別格だから」

「比べる必要ないし比較すら出来ない」

「別次元の人だから、あの人は」

 

彼女はようやく安心していた。

と、同時に

『でも』

『やっぱりキミを盗られた気分!』

と、更に嫉妬し闘争心を燃やしていた。

 

そんな彼女に

私は嬉しさと同時に

12年前の出会いに感謝した。

 

 

月詠み/1月編<2019>

 

平成31年

 

タッキー&翼

ラストステージを目に焼き付けて。

それぞれ別々の道へ

新しいことへ挑む姿を見送って。

 

「私も。」と

立ち上がった。

気持ちも、生活も、

【変化】した1月だった。

 

 

ーーーーー月詠みーーーーー

 

10年。

出会ってから今まで

何度も言い争い、助け合い

最終的には傷つけ合うことしか

出来なくなってしまった夫へ。

 

最後の

『いってらっしゃい』を告げた。

 

私達も、

別々の道を歩くと決めたのだ。

 

どこまで思い描く自分に近づけるか。

それは誰にも分からない。

でも、

近づいてみなきゃもっと分からない。

1歩でも2歩でもいい。

最終的に追いつけなかったとしても、

追いかけた事実はちゃんとある。

 

私は

在りたい自分に近づけるように

歩くことを決めた。

 

そして。

 

その第1歩となったのが

新居の契約だ。

 

出会いから12年、

共に闘った親友の力を借り、

出会って間もないが

いろんな意味で心から信頼している、

信友に支えてもらい。

 

新たな人生を送る家を決めた。

 

春からは新しい家に住む。

 

踏み出すんだ。

 

その日から私は

ひたすら動いた。

 

・市からのDV保護(母と兄が対象)

・車買い替えの相談

・仕事探し

 

私は地元を離れ

他県に住むことを決めた。

 

私のことを知ってる人、

私に何かあったとき

駆けつけられる人は最小限でいい。

多すぎると

病気の闇に呑み込まれてしまう。

その闇に抗おうとしているのに

いつの間にか覆われてしまう。

 

だから。

 

関東圏からも離れることを選んだ。

 

 

新天地の中心部は

仕事が山ほどある。

交通の便もいい。

 

ただ。

『4月から就業』

…というのが私の条件だ。

引越し業者を頼まないことにしたため

持っていくものは何回かに分けて運び

重いものは現地調達。

病院も緊急搬送が出来て

入院施設がある心療内科へ変更せねば

この病と一緒に生きてはいけない。

 

やることは山積みだ。

3月くらいまでは落ち着かないだろうと

心の調子もみて余裕を持ちたかった。

 

4月から就業となると、

来月中旬でないと紹介も難しいと、

職案の人と2時間かけて相談した。

 

そして。

もう1つ。

 

 

【社会復帰への挑戦】だ。

 

 

先生はまだ首を縦には振らない。

 

だが、いざ4月から就業となったとき。

私は働けるのだろうか?

 

約2年間、働いていない。

ぎっくり腰をキッカケに、

古傷も痛みだし普通の生活でさえ

身体中が痛くて整体通いだ。

 

そんな私が働けるのか。

 

 

私は決めた。

 

 

人材派遣会社に登録。

 

 

25日と26日

2日連続で久しぶりに働いた。

 

いや。

働けた。

 

もちろん、身体はボロボロ。

 

でも。

心は達成感と安心感、

充実感で溢れていた。

 

〈まだ私は働ける。大丈夫。〉

 

高校生の頃から

ずっと働いてきた。

走り続けてきた。

 

タオルをかけられ、

強制的に

コースから外れざるを得なかった2年前。

 

ちゃんと、帰ってきた。

帰ってこれたのだ。

 

29日も派遣会社からの紹介をうけ

26日に行った現場にまた行った。

 

すると。

私のことを覚えてくれている人達が

ちゃんといた。

病人としての目ではなく。

働く仲間として。

 

この2年間、

【病人】という目で見られてきた。

その目が怖かった。

 

でも私が【病】より少し前に出て

ちゃんと立っていれば

【私】を見てくれる。

 

それを実感した瞬間だった。

 

 

 

2月はもっと忙しくなる。

 

今月の26日、29日に行った現場で

仕事に呼ばれている。

 

その合間を縫って

引越しと職探し、

面接して内定まで貰いたい。

 

祖母の誕生日(2月13日)には

近況報告と、

次来れるのは命日かな…と、

話すためにお墓参りへ行くと決めている。

 

 

バイトしながら

益々生きていることを実感しながら、

前しか向けないくらいに忙しくなる。

 

そうであってほしい。

 

 

振り返るのは

今の家を離れる時でいい。

 

それまでは。

在りたい自分を追いかける、

その準備をしていたい。

前を向いていたい。

 

抗っていたい。

 

 

来月もたくさんの経験をして、

それを自分の糧に変えて。

弱音を吐いても、悩んでも、

また前を向いて。

 

そんな私でいてほしいと願う。

 

 

もうすぐ

オリオン座が次の星座に

バトンタッチをして

反対側で輝く頃だ。

 

もう少し。

オリオン座と共に。

minatoと共に。

 

1歩ずつ進んでいきたい。

 

ーーーーー月詠みーーーーー

小さなこと

 

 

新たな生活のため。

挑戦するため。

 

派遣だけど2日間、

8時間フルタイムで働いてみた。

 

 

約2年間、社会から切り離され

働くことを許されなかった私。

今でも許された訳では無い。

先生には事後報告にはなるが、

 

「やってみたい」

その意志を尊重した。

 

いや、

「やらなければならない」

そう思った。

 

慣れない土地に引っ越して

右も左も分からない場所で

再スタートをするために、

少しでも自信が欲しかった。

 

 

「私は出来る」

「病気に完全に負けてない」

 

そうやって自分を肯定したかった。

 

 

 

そう思えたのも

去年の5月から私の病気と向き合い

いろんな所へ連れ出してくれて

いろんな世界を見せてくれた仲間がいて

そして、

ことある毎に

「大丈夫」「進め」と

背中を押してくれる人がいた。

だから出来たこと。

 

みんなからの温かい気持ち、時間。

お金じゃ買えないものを

共有してくれた。

 

私の歩幅に合わせてくれた。

 

私より前を歩いてくれる人がいた。

 

 

『追いつきたい』

『堂々と隣を歩きたい』

『いろんな世界を知りたい』

 

 

その気持ちが

社会復帰に繋がった。

 

本当に感謝しきれない。

 

 

私のことを知って

離れていく人が殆どだ。

 

 

『助けてあげられない』

『何も出来ない』

『ごめんね』

 

そう言われ続けてきた。

 

でも、違うよ?

 

私の病気と向き合ってくれた、

一緒に闘おうとしてくれた。

それは変わらない事実。

 

私は救われたよ。

だから今があるよ。

 

社会復帰して

見上げた空は、

家から見る景色や

星空とは全く違う。

 

【達成感】

【充実感】

 

そんなものに溢れる空だった。

 

 

昼の空は

こんなにもキレイなんだと。

療養生活の中で初めて知った。

 

 

周りからしたら

『働くのが当たり前』で、

『何を偉そうに』って

そう思われても仕方がないと思う。

 

それでも、

まずは2日間働けた。

発作も起きていない。

 

発作を起こす原因の1つ、

地元の電車。私は乗れた。

 

 

その達成感。

 

 

小さなことだけど

大きなこと。

 

 

「小さな1歩は大きな1歩」

これ言葉が、私の芯。軸。

 

 

小さくても

踏み出せたことに意味がある。

躊躇していたときよりも

心は澄んでいるはず。

 

何かが変わってると

そう、信じてる。

毎日毎日

なにやってんだろ

【またやってるよ、アイツ】

【そんなに死にたきゃ死ねば?】

 

そう言われてる気がする

 

死にたいんじゃない

 

生きる方法が分からない

 

 

そう思うなら

私の人生、歩いてみろよ

 

親に棄てられて

兄に殺されかける毎日で

母が戻ってきたと思ったら

7年の時が経ってて

その上、愛人と住む?

 

バイト代も

社会人になってからの給料も

全部親に握られて

「お前の金は一銭もない」って

 

働きゃなきゃ働かないで殴られ

働けば働くで殴られ

彼氏ができりゃ全部壊されて

 

「お前に幸せになる資格はない」

「生きる価値さえない」

 

そう言われ続けて

 

それでも

それが当たり前だと思ってた

私が全部悪いと思ってた

 

だからお母さんは怒るんだって

私を殴るんだって

 

「産まなきゃよかった」

「なんで生きてんだ」

そう言われれば

謝るしか無かった

 

産まれてごめんなさい

生きててごめんなさい

 

言われた通りにするから

怒らないでって。

 

そうやって25年生きてきた。

それが虐待だとか洗脳だとか

毒親だとか

そんな風には思ってなかった。

当たり前だったから。

 

そこからようやく

一年かけて抜け出したけど

 

まだ抜け出して3年

 

洗脳は、

解けてるようで解けてない

 

親の言葉

私に対する殺意

まだまだまだ

残ってる

 

生きたいって思えば思うほど

親から浴びせられた言葉が甦る

 

 

それと闘ってる毎日

 

 

 

 

人はそれぞれ

辛さや、苦しさ、痛みは違う。

 

抱えてるものも

立ち止まるところも違う。

 

だから

理解してくれとは言わない

 

否定しないで

 

 

 

「必要だ」

って言って欲しい

 

 

過去の私も

その過去と闘う私も

それに負けそうな私も

でも負けたくない私も

 

「お前はお前だ」って。

 

 

 

私を見つけてよ

 

 

 

もう永遠に目覚めたくない

 

透明人間。

 

居るようでいない。

いないようで本当は居る。

 

私のことはそう思ってください。

 

離れていかれるのも

捨てられるのも

慣れてるけど

だからって平気な訳じゃない。

 

毎回毎回

「大丈夫だよ」って私は笑う。

「君なら大丈夫」って送り出す。

 

平気なフリをしているだけで、

誤魔化してるだけ。

 

「お前が必要だ」

私だって言われたい。

そんな存在になりたい。

 

でも自分が自分を

否定して、必要としていない。

 

だから

言われたいけど

信じられない。

 

(そう言って離れていくんだろうな)

 

そう、思ってる。

 

私は通過点でしかない。

 

 

なら。

 

 

存在しているようで

存在していない、

透明人間になる。

 

私が守ろうとしている事。

大切にしたい事。

 

強くあろうとしている事。

生きようとしている事。

 

無駄なのかもしれない。

相手からしたら

迷惑なだけなのかもしれない。

 

居ちゃいけないのかもしれない。

 

 

唄えなくなっちゃった

 

歌しかないのに。

 

唄えなくなっちゃった

 

歌だけは裏切らない

歌だけは私を棄てない

 

なのに。

 

唄えなくなっちゃった

 

どうして?

ODで失うのは歌なの?

他ならなんでもいい。

何を失ってもいい。

 

歌だけは。奪わないで

 

結果

置いてけぼりにしたのは私だ

 

家族を切り捨てたのは私だ

 

1人を選んだのは私だ

 

母のせいにしていれば楽だった

 

それで保ってた

 

 

あの頃の私を

置いてけぼりにしたのも私だ

 

私が全部悪い

 

 

その考えが頭から離れない

 

 

違う

そうじゃない

そうしなきゃ生きられなかった

 

君が悪いんじゃない

 

いろんな私の声がする

 

 

聞きたくない

そんなに一斉に話さないで

 

 

生きる資格なんてない

生きようなど

明日が来ることなど望むな

 

 

言わないで

お願い

 

 

生きたいんだ

 

助けて